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ところで以前から私は小松っとんの京都の屋敷が御花畑にあったことから彼を妖精(笑)扱いしておりますが・・・・
妖精さんは氷をつくっていたそうで(笑)
そして大久保さんを手紙でさそっているという・・・・。
「製氷機を明日には返さないといけないから、みるなら今のうちだよッ☆」みたいなww
うちでとってる新聞にのってる、この手の話が大好きvv
氷が幕末・明治期に人工でつくられるようになったというのは何かで読んでいたのですが、製氷機が入ってきたのがこの頃との事。
明治三年に春嶽公が今まで使い方がわからず製氷機を放置してたってのに、小松っとんは慶応の頃に何気につくってたんですね!!!何してんの妖精!!!ww
この新聞連載大好きッッ★
あとサブロー(久光)が小松っとんの御花畑屋敷に徒歩で来訪したとか!!!(爆)
あんたも何してんのサブロー!!!(笑)
ちなみに私はサブロー嫌いじゃないョ!あがいてるよね、この人。
(そういえば高杉が一時期サブロー暗殺をたくらんでたよね・笑)
あと氷と聞くと清少納言思い出す(脈絡ないな!!)
この人けずった氷に植物からとる・・・なんだっけ・・??ど忘れした;;
今のシロップみたいなのをかけて食べてたとか・・・好物かww
昔って、とくに夏場は氷って貴重なんだね~・・・。
今は便利になったもんだねぇ・・・・(。。)
だから書いとかないと忘れそう・・・(笑)
聞多や俊ちゃんは、文久三年の5月12日に国禁を破ってエゲレスへの密航留学のために日本を離れるから・・・この後の八月十八日の政変の頃には日本にはいなかったんだよね・・・・。
翌年の禁門にも参加してない。
薩長同盟のとき桂さんがぐちぐち言ったのは桂さんの性格もあるとは思うけど(笑)、やっぱり政変も禁門も体験してて最前線で外交してた桂さんだから文句も言いたくなるんだと思うww
長州諸隊の同盟反対も激しいし。
桂さんだって薩摩と手を組む必要はちゃんとわかってて、それでも言わずにはいられない。
政変の悔しさを。
禁門の絶望を。
それはどうしても居なかった人にはなかなかね・・・・。
でも居なかったからこそ、客観的に見てわかることもあると思うし。
聞多や俊ちゃんが武器購入のために長崎で小松っとんとあったりしてるし。
それぞれがそれぞれの「役割」をきっちり果たしてるから問題ないんだけどねッッ★
こないだ友人から幕末志士写真関連のものが届いたので嬉しくってにやにやです(キモィ)
遙時仲間も発見したし~★
テストとレポに追いつめられてるのですが(崖っぷち☆)、ブログはあまり時間をとられないし、書くとストレスがたまりません(笑)
山川大蔵(浩)と山田市之允(顕義)★
西南戦のときの別2上司部下の二人で!!!
昨日市ィバトンに答えましたが、この二人が大好きですvv
この上司と部下は仲悪そうだよねwww会津と長州だしね★
市ィが遊ばれてそう・・・。
上司なのに。
たとえ妹の大山捨松のほうが知名度あっても(笑)、会津藩のいいとこの坊ちゃんで会津戦争のとき彼岸獅子入城でまったく兵を損なうことなく入城し、若くして軍事家老となり「知恵山川」の異名をとり、朝敵となった会津の期待を背負うかの如く陸軍少将男爵にまでなっちゃう大蔵が大好きなんだぜ!!!☆
大蔵好きーのあいだで有名な「おから事件」と「おにぎり事件」は爆笑物ですよね(笑)
★会津から斗南藩に移されて、藩士たちが飢餓にあえぐなか空腹にたえられなくなった大蔵がおからを買占め反感を買いまくったww
★西南戦争のとき、軍議のさなかふところからおにぎりを取り出し味噌をつけて、上官である市ィと黒田の目の前で完食したと言う・・・。
でも大蔵もけっこう苦労してると思う・・・会津戦争で奥さんのトセちゃんは爆死だし、妹の咲子(後の捨松)は里子に出さなきゃいけなくなるし・・・。
会津出身の「朝敵」がわというので悔しい思いをすることもあったと思うんだよね。
「朝敵」ってこの時代、それほどに重いものだと思う・・・。
(だって政変・禁門後の長州も朝敵でどれだけひどい目にあったと・・・・ッ!!大泣;)
とっとと夏休みになってほしいです。
私は聞多史料を読破したいんだ!!!!!!
今日のN○Kの某歴史番組で直弼が出たので・・・。
わたし井伊直弼嫌いじゃないんですよ、不思議なことにww
安政の大獄で松陰先生といい、橋本左内といい、わたしの好きな人もかなり死んでるんですけど・・ね・・・・orz
譜代の彦根藩の藩主・井伊家の十四男として生まれ、兄弟の死によって跡継ぎとなり幕府の大老にまで上り詰めた男。
私がこの人のこと「すごいな」ってまず思ったのは、こんな、長男が圧倒的に有利な時代によりにもよって十四男に生まれて、一生日の目を見ることなんてない部屋住み境遇で、自分の屋敷に「埋木舎(うもれぎのや)」なんてさびしい名前つけてるくせに人生投げてないとこ。
フツー投げるよ。
「どうせ俺なんか・・」ってさ、偉いよ直弼!!見習え若者!!!!(←お前だ)
お茶の腕前も天下一品。
剣をもたせりゃ居合い最強。
能・狂言・歌・槍術etc・・・に才能を発揮する。
多芸で多才ってとこは慶喜とも並びそう(笑)
誠実な人だと思う。
幕府に対して。
譜代だし、大老だし、幕府に対して誠実で当たり前なんだよこの人は。
この人の立場からしたら在野の者たちや外様が幕府の政治にたいしてごちゃごちゃ言うのは言語道断でしょうし・・・・。
勅許なしの開国も、孝明帝の要求は「国体を辱めないように」ってことだったから、直弼は「戦って敗北し、地を割くことになるのは恥」と考え国体を辱めない方法として勅許なしの条約調印にふみこんだ。
大政は幕府にあるんだし。
いちおー「勅許を得ない重罪は、甘んじて直弼一人がこれを受ける決意である」といってるみたいだし(『日本の歴史19 開国と攘夷』より)
だからかな、嫌いじゃないんだよなァ・・・。
・・・・・ところでひこにゃんって可愛いよね★(関係ない)
摂津の国の豪族・阿部保名がある日、傷ついた狐を助けた。
その狐が恩返しがてら「葛の葉」という女に化けて保名のもとを訪れ、やがて二人は愛し合うようになり子が生まれた。
この子供が後の安部晴明だという・・・・。
けれど成長したその子は、ある日母親の正体をみやぶってしまう・・・。
みやぶられたからには共には暮らせないと、葛の葉は一首の歌を残して姿を消す・・・
「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉」
・・・・こういう伝説とか伝承・神話もけっこう面白くて好きvv
「古事記」とか楽しい!!
「俊寛」・・・・のレポ・・・どうしよっかな・・・何か俊寛ってめんどうなんだよな。
謡曲・歌舞伎・平家物語を調べて比べてみなきゃならんのか・・??
話的には「道成寺」のが面白いんだけどね★
この話は爆笑ですよ!!蛇へび!!
女子の情念が愛した男を焼き殺すんだぜ(笑)
恐ッッッ!!!ww
そういえば私が発表した「荘子~胡蝶の夢~」もテスト範囲に含まれちゃったぜ!!(笑)
発表しといてなんだが、嫌すぎるぜ!!!
現実逃避したいよ!!!(泣)
禁門の変は切なすぎる・・・!!!このときの長州の、久坂さんや桂さんの気持ちを思うと・・・・(でもこんな流れになった原因はほぼ薩摩だがな!!!泣;)
久坂さんが入江さんが、寺島が逝ってしまった日。
(ホントはもっといろんな人が亡くなってんだけど・・・)
「志士」は「死士」だから。
志半ばでで倒れることもそりゃ覚悟してただろうさ!
そんな道を奔ってるんだものこの人たち。
でも止まらない。
志がつながってゆくならば身体が滅びることにも躊躇しない。
身体の死より志の死のほうが、この人たちにとっては悲しいのだろうな・・・。
この戦いから「尊王」をかかげた長州が「朝敵」となり、長州人というだけで追われる日々が始まる。
一年前、あの文久の政変までは長州の独壇場だったのに。
華やかな周旋をおこない、その長州の舞台を築いたのは久坂さんだったのに。
たった一年後に「朝敵」の汚名をきて死んでいった。
この人の願った「倒幕」も「王政復古」も見ることなく・・・。
「防長年少中第一流」・・・・松陰先生は久坂さんのことをそう評した。
晋作も詩でいってるけど、ほんと先生のその評価に恥じない生き方をこの人はしたと思うんだ。
この戦いで逝った人たちの冥福を心から祈ります。
和宮の新暦誕生日も今月だったからこの二人。
おめでとうってことでvv
ホントね、幸せになってほしいと願わずにはいられない夫婦です。
・・・・他サイト様の家茂くんはとっても可愛いくて「ああ!アイドル!!」って感じがすごくするのにうちの家茂くんは可愛い系にはどうしてもなってくれない・・・・orz
そういえば家茂くんは月代そってなかった、と何かの資料で読んだんだが・・・何だったか忘れた;;
幕末というあの未曾有の国難の時期に家茂くんのような誠実な人が将軍だったことを嬉しく思います。
家茂くん好きッ!!
君を悪く言う人を私は今まで見たことがないよ・・・ww
ホントに誰にでも愛されてるよね!!
その人望が慶喜との差だよね(笑)
ドンマイ慶喜☆それでこそ慶喜だ!!ww
家茂くんは和宮といっしょに金魚でも愛でながら、甘いものでも食べててください。
(この二人といえば金魚やら石竹の花やら鼈甲の簪ですよね☆・・・・でも家茂くんは虫歯が半端ないんだから気をつけて・・・ッww)
会津藩主・松平容保の実弟。高須四兄弟の一人。なんでこの子はいつも「何で?」ってくらい容保兄ちゃんと一緒にいるんだろう・・・。
桑名藩主の養子(婿養子)。
かぞえ19歳で京都所司代拝命。
越中守。
教科書にも全然出てきませんでしたが、私はこの破天荒な藩主が好きなんですよ。
桑名は戊辰のとき藩としては恭順ということになるんですが、(というより恭順派の重臣の暗殺を命じたというか・・・)この男は藩主のクセに脱藩して蝦夷まで行って結局迎えに来てくれた藩士と一緒に帰るという・・;;どんな藩主!!?
まー・・私としては彼が何を考えて「一色三千太郎」などという
数字か??
数字が大きいのがいいのか??
そういえば某サイト様で桑名藩士の日記本が発売されると小耳にはさんだのですが、すっごい気になります!!
桑名の史料は
気になるなァ・・・。
童顔でチビ(五尺)で可愛い村塾のマスコット(どんな認識!?)
村塾の年少組・・・。
でも市ィの村塾逸話って「先生に年賀の挨拶に言ったらそんなこといってる場合じゃないって怒られた!!どうしよう!!」みたいな不憫な逸話が・・・・(笑)
これでも日本法律学校(日本大学)と國學院(國學院大學)の創設者で、軍人ですよ。
私は可愛い可愛い言ってるけど、「神算鬼謀の将」とか「小ナポレオン」とか「用兵の奇才」とかせごどんには「よか稚児」いわれてその将器をほめられてるし、けっこうな歴戦の勇士だよねww
白熊(あの政府軍のもさもさした被り物の色)かぶれ!!(どんな要求!?)
長州の攘夷戦も禁門も参加してて戊辰戦争では函館までいってるし西南戦争でも別働第二旅団長として活躍してて、可愛い顔してなんなんだろうね、この子!!
司法の道にもいって、教育にもたずさわって・・・忙しいな!!ww
でものこってる市ィの軍服写真あるけど、軍服がすっごいぶかぶかで可愛いよねww
奥さんの龍子ちゃんはわざわざ聞多の養女にしてまで結婚してるから余程想い合っていたのだろうと思ってるんだが・・・聞ちゃんが「お養父さん」って笑える!!
ちなみに市ィの娘の梅子ちゃんの旦那は元会津藩主・松平容保の三男だったりする(わお!)
長州と会津ってすごい組み合わせだ・・・。
でも西南戦のときは市ィの別働第二旅団の団長は市ィだけど参謀で右翼指揮官だった山川大蔵(浩)は会津の家老職の家だからね★
この二人のコンビも好きだよvv
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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