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広い世界に 銚子が無くば
やがて世界は 闇となる
晋作が酒席で作ったという俗曲。
「銚子」に「長州」をかけてるんだぜっ☆☆
こんな歌つくっちゃうほど自分の国が大好きで、誇りで、それでも「日本」のためにその国に割拠をとなえる人。
割拠なんてしたら長州自体ただじゃすまないのにねェ・・・。
まぁ、そこにこの人の凄みと悲しさがある気がするけどさ。
そこには松陰先生の「日本を乱世にする」っていう思想の影響があるんだろうな。
乱世を現出すればまだ打つ手もあるといった先生。
その乱世を長州から始めようとしたら・・・・・・・長州大好きの晋作にとってすごい辛いのに・・・。
とても松陰先生のように、
「天朝も幕府もわが藩もいらぬ。ただ六尺の我が身体が必要」
といった心境にはなかなかなれないと思う。
やっぱ松陰先生すごいなぁ・・。
晋作を知りたかったら、やっぱ松陰先生の存在って無視できないよなぁ・・・;;
白拍子・磯禅師の娘。
容姿端麗、都一とうたわれた白拍子で雨乞いの儀式のさい九十九人の白拍子が舞っても何も起こらなかった空が百人目の静が舞うとにわかに曇り雷雨になったとかww
「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人のあとぞ恋しき しづやしづ しづのをだまきくり返し 昔を今になすよしもがな」
「吉野山に雪を踏みわけてはいっていったあの人が恋しい しずか、しずかと何度なくあの人が呼んでくださったあの頃に戻りたいものだなぁ・・・・」
とりあえず。
この歌を頼朝の前で舞ったんだな、静ちゃん・・・。
義経を反逆者と追う頼朝の前で、義経への想いを高らかに歌い上げたその心意気が好きvv
やっぱ最初に興味を持ったのは義経だったからかこの時代はけっこう好きww
たとえ義経に24人の愛人がいようとも!!(爆)
ヤジは・・・・明治に大規模な選挙干渉した☆ってことで教科書に出てくるけど・・・ww
私のイメージとしては誰とでも仲良くなれることが自慢の可愛い奴です(笑)
村塾の年少組ですね☆☆
松陰先生もあんまり勉強できなくてもその朴訥さというか素朴さを愛してますよね。
「弥二の才得易すからず」 「弥二は人物を以て勝る」
だそうで。
ヤジは身分がそんなによくなかったから藩校・明倫館に入ることはできなかったんですけど・・・。
でも幕末期にもけっこう活躍してたりvv
薩長同盟締結のときには「橋本八郎」の名前で京都に潜行して持ち前の誰とでも仲良く☆でばっちり同盟成功の足がかりをきずいてます(笑)
偉いヤジ!!
やればできる子だと思ってたよ!!(誰だお前)
「都風流トコトンヤレ節」・・・・あの「宮さん宮さん御馬の前にひらひらするのはなんじゃいな~~・・♪」ってのを作詞したのもヤジだと伝わってます。
元・聞多の恋人で後、ヤジの恋人になった君尾さんと一緒につくったとか(^v^)
去年かなこれ(笑)
龍馬カッコイイなァ~~vv
あっはっはっは、馬鹿だ私!!!
高知いきたーい・・・。
でもその前に山口行きたいww
し・・・晋作の誕生日までには・・・ッ!!(切実)
そのためにもバイトしなくちゃ・・・と思って電話したのに係りの人がいないとかでまた後日かけなおすってさ!!
肩透かしww
私はチキンなんだぞ!!((何
明日は一限目がつぶれて、二限目はとってない授業だから三限目に間に合うように学校行けばイイやvv
大学で日本史好きの子を発見した☆((ドッキドキ
そして・・・絶対歴史とか興味なさそうに見えた子とかが・・・何気に新撰組や沖田総司好きだったり・・・。
え??
マジで?
大久保さんは・・・日記の「江藤 醜体笑止なり」の言葉からわかるように吉之助さァと袂を分かつきっかけをつくったともいえる江藤のことを嫌いだったかもしれないけど・・・。
それに、江藤の生首写真が出回ったってことは、そのころの政府を握っていた大久保さんがそれを何の規制もせずに許したってことだもんなァ・・・;;
警察と司法と・・・江藤さんはその正義感も手伝ってとても真摯にとりくんでたと思う。
捜査に写真をつかうことにしたのも、江藤さんだよね?
皮肉なことに自分の写真が捜査につかわれたけどさ。
「皇天后土」
最期にこの人はそう言ったけど。
天と地だけが知っていた江藤さんの本心は・・・・いったいどういったものだったんだろう・・・。
どうか、安らかに。
うめのしん・・・・・・・・・・・・元治元年十月十五日生まれ。
梅之進、後の名を東一。
晋作のたった一人の息子。
いつも京都やら江戸やら上海やら四国やらと走り回ってて、奥さんと過ごした年月なんてほんの二年と少ししかなかったくせに、ちゃんと子供残すところが親孝行な晋作らしいというか何というか・・・・・・・・(笑);
晋作は確かにおうのさんという愛人がいたけど、それでも奥さんと子供、両親をとても大切にしていたから。
別に愛人とか珍しくない時代だしね。
晋作の奥さんのお雅さんは萩城下一といわれた美人。
十六歳で晋作の妻になってる。
晋作ってお雅さんにいろは文庫送ってあげたり、自分がいなくてさびしいかもしれないけど、武士の妻なのだからしっかりしてくれ、父上や母上への孝行も・・・とか、すごいぐだぐだと手紙に書いたり。
そのお雅さんが生んだ梅之進。
晋作は自分のことを決していい息子だったとは思ってなかったから、この一人息子を温厚篤実なおのれの父・小忠太のように育ててくれることを願った。
晋作は結核だったから・・・息子を抱いたりとかあんまりしてないんだろうなぁ・・・。
小さい子にはうつりやすいもんね・・。
でも晋作は子供あやすの下手そう(笑)
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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