忍者ブログ
日記、歴史などなど
 26 |  27 |  28 |  29 |  30 |  31 |  32 |  33 |  34 |  35 |  36 |
Posted : 2024/11/22 15:16
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted : 2008/03/22 11:28
949b24de.jpg二十日って真之のことしか言ってなかったけど・・。
前原一誠の誕生日でもあったんだ!!

ごめん前原~~!!
でも私、この人も幕末期の「佐世八十郎」の名前のほうが好きvv

萩の乱で教科書にもでてきますけど。
彼も村塾出身!!

この人物の完全なことには、高杉や久坂も及ばないと、松陰先生のお墨付き(笑)
一誠さん遅ればせながらおめでとーーーー!!
PR
3ce8fbbb.jpgせっかく描いてたのに・・・あぶねー!!ww
真之誕生日オメデトー!
悪ガキ真之のイメージでvv

今日の鹿児島は天気晴朗でしたよ~♪♪


やっぱり日露戦争も気になるなァ・・・。
「智謀湧くが如し」といわれた参謀・秋山真之。
やっぱ、真之について書かれた本、欲しいなァ~。


「皇国のノ興廃此ノ一戦に在リ、各員一層奮励努力セヨ」

Posted : 2008/03/15 10:23

114b93a2.jpgやわらかに笑う久坂さんが描いてみたかっただけなんだけど・・。
「誠」は久坂さんの名です。
あ。ちなみに「義助」は「よしすけ」が正しいらしい。久坂さん自身が手紙に「よしすけ」って書いてるみたいだから。
私は「ぎすけ」呼びが好きですが、長く「ぎすけ」だと思ってたんで(笑)

長州の「攘夷」は、水戸学の「夷人をうちはらう」という言葉通りのものとは違うと思う。
松陰先生の唱えた「攘夷」は、主体性を欠いた幕府を倒し、その後には「開国」が念頭にあった。

そもそも、私は「攘夷」は「異人に好き勝手はさせぬ」という国をまもろうという「気概」だと思う。
そういう心はこの時代の誰にでもあった。
新撰組でも、倒幕志士でも、何でもその心は変わらないと思う。

マンガとかでは高杉と比べてガチガチの攘夷論者っぽい久坂さんが多い気がする・・。
松陰先生の唱えた「攘夷」を継ぐならば、ガチガチの攘夷論じゃない気がするんだけど・・・。

久坂さんの直情性とか、激情・・・人をひっぱる力は本当にすごいと思う。
己の命なんて度外視して走るその姿は松陰亡き後の松門の支えだったんじゃないかな。
そんな人がたった二十五歳で・・・逝ってしまった。
でも、この人の「死」がきっと導火線に火をつけた。

いったい、この人に与えられた「天命」って・・・・・。

Posted : 2008/03/14 20:13
今日、本屋で幕末人物の歌が書いてある本を読んだ・・・。

それで、土佐の岡田以蔵の歌が・・。

「君がため 尽くす心は水の泡

 
     消えにし後は 澄み渡る空」


・・・・・・・・・・・・・・何か・・ね。
彼の最期を思うと・・・ね。。。。
Posted : 2008/03/09 09:16
b83b1f1e.jpgそういえば七卿落ちのときも雨だったんだよね・・・。

1863年、八月十八日・・・薩摩と会津の策略によって、長州と、長州よりだった尊攘派公卿七人が京を追われた・・・・・八月十八日の政変・・。

その後、久坂さんたちは京にいられなくなりその七卿とともに、十九日・・・京を脱出し、長州の周防三田尻に向かった・・・七卿落ち・・。

でもそのままじゃ、終われない。終わらせない。
兵庫で七卿とわかれ、久坂さんや桂さんは再び京に潜伏。
長州の復権をはかる。
けれど、国元で武力によって復権をはかろうという人々が出てきて・・・・それを止めようとしたけど、その流れを止めきれず、その流れの中で朝廷に弓を引いた「逆賊」として散った久坂さん。

「お国の久坂さんが生きていたら、お互い参議などといってられませんな」

明治になってから、桂さん(木戸孝允)に西郷どんがそう言ったという・・。

皮肉だよね、久坂さんが死んだ禁門の変・・。
その始まりになるような政変を起こした薩摩・・。

その薩摩が後々、西南戦争を起こす。
私学校の暴発を止め切れなかった西郷どんは、その大きな流れに身を任せ、(政府にとったら)逆賊として死んでいった・・・。

歴史は・・・大きな流れのようだと言ったりするけど・・・流れをジッと見つめて・・・上手くその流れをつかめる人はイイけど。
巻き込まれる人もいると思う。
流れが見えていたであろう、久坂さんも西郷さんもその流れに巻き込まれた。
どうしようもないものが、避けられないものがあったんだろうな・・。
Posted : 2008/03/04 08:33
8a83a9c7.jpg聞多さん(後の井上馨)は志道(しじ)家に養子に言ってたんだけど、イギリスへ密航留学するときに、国禁を犯すからもしバレて養子先に先に迷惑をかけるようなことになったら・・・・ってことで、もともとの井上姓に戻すんですけど。

「志道」って字がカッコイイよね、「こころざしのみち」だなんて・・・ッ!!ww

聞多さんはなんだかんだいって好きですv
明治では汚職事件の噂が絶えないし~江藤新平に追いつめられtるし~鹿鳴館外交は評判悪いし~略奪婚だし~ww

・・・・せごどんは彼を「三井の大番頭」って嫌ってますよねww
まァ、聞多さんは三井と関係があったみたいだし・・・。
でも聞多さんが珍しく財政がわかるひとだったから政府で重宝されてますvv 

男らしい人っすよ!

闇討ちされて斬られまくって五十針以上縫われても生きてるというゴキブリ並みの生命力を見せつけ、
(恋人だった芸妓の君尾からもらった鏡が致命傷をふせいだとか)
実は世子の小姓をつとめるくらい高杉よりも身分的にはイイとこの出なのに、もともとは武士ですらなく中間出身だった伊藤俊輔とだいの仲良しvv
この女好き同士め!!
だって「お神酒徳利」ってよばれるくらいだよ?
変名は聞多が「春山花輔」・俊輔が「花山春輔」・・・・オソロイ。。。。
女子高生かこいつら。

しかもかんしゃくもち切腹癖あり、藩公のまえでも平気でどなりちらす・・。
村塾生じゃないけど、村塾生とは仲良しvv
けっこう年長組なんだけど、一番上のトップにはならない人(笑)
ぜったい誰かの下とかナンバー2ぐらいにいる。

高杉の顕彰碑の除幕式にあっついなか二時間も演説をして小学生を倒れさせる(爆)


そういえば・・・。
このブログって携帯でも見る分には支障はないはずなんだけど・・・もともとパソコン用だったからパソコンのほうがカテゴリとかリンクとか見やすいはず・・・。
私が機械に弱いばっかりに・・・・;;
すみません・・。
Posted : 2008/03/03 00:22

長州が好きです(何をいまさら)

いちばんは晋作だけど。

やっぱり、彼と「松門の双璧」といわれた久坂義助・・・。
彼がいま、すごく気になってます。
吉田松陰にその妹を妻にとこわれるほど、才に惚れられ、「防長年少第一流」・「その才能は縦横無尽」といわれ・・・
ほかにも、「久坂には誰でもついていきたかった」とか言われる人。
なんか攘夷派の超過激人物みたいになってるし、教科書にもそんなでてこんし・・。
でも、「久坂のお地蔵さん」っていわれるほど、美僧のようなみかけで、穏やかな優しい人(栄太に家族と会うようにすすめたりとか)・・・。

その死をもって教えを完成させた松陰の意志を継ぎ、松陰亡き後の村塾生をまとめ、桂小五郎と共に京洛の地で華やかな外交と朝廷への工作をやってのけた志士。

文久のあの日、薩摩と会津による政変で京を追われ・・・それでも、必死に京に潜伏し、国許の暴発に、あのどうしようもない流れによって、元治のあの戦で散った人・・・。


わたしは鹿児島生まれ鹿児島育ちですから・・・・純粋に鹿児島は好きだし、桜島見ればあったかい気持ちになるし、せごどんや一蔵どん、半次郎さん・・・薩摩の偉人も単純に好きか、嫌いか、といわれれば「好き」だと当然のごとく思います。
でも長州のなめた辛酸を考えると・・・。
すごい複雑な愛憎模様ww

好きだからこそ。

文久の政変・・・元治の戦・・・朝敵の汚名・・外国との戦い・・二度にわたる征討・・内訌・・。
あんな、長州の独壇場とも言うべき舞台を作り上げ・・・・その舞台・・・足元を突然、ひっくりかえされ、禁門の後は長州人だというだけで斬られる日々、「尊王」をかかげた彼らに「朝敵」の名はどれほどの絶望をもたらしたのだろう・・。
(そしてそんなボロボロの長州との同盟を一度すっぽかすって・・・薩摩あああ;;)

それを経て、やっとたどり着いた維新。
(・・・・こうしてみると長州って本当に幕末の争乱を一身に受けてる気がする・・。)

私は、明治維新が正しかったのかどうか・・・どうしても判断できないけど・・・それでも礎となった人たちは1867年の・・・王政復古のあの日を夢見たんだと・・・思う。

今日、卒業式だからかな、何か暗いな私・・・;;

Posted : 2008/03/02 08:28
a80a9c4b.JPGc8b9ef3c.JPG松下村塾の双璧(竜虎ともいうけど・・・)

高杉晋作と久坂玄瑞。

いや、何で坊主かというと・・・二人とも坊主頭の時期があったよなァ~ってだけなんですけど(笑)

「東行」は晋作の号です。
彼は西行法師をしたってたので、それをもじって。

晋作は「防長割拠」をとなえるんだけど、久坂や桂さんは外交をやめないし、攘夷がなんかブームみたいになって口先だけの攘夷志士が横行するのに嫌気が差した晋作が学習院御用掛けもやめて、「十年の暇を下さい」っていって頭そっちゃうんです(笑)
そのころの高杉は、
『大きな坊主笠をかぶり、腰に6,7寸の短刀を吊るし、酒におぼれて市街を横行。傍若無人、狂人の如くふるまう』
と、いわれています。
・・・酒弱いくせにねェ(笑)


「久坂玄瑞」・・・久坂さんはやっぱこっちの名前のが有名なんですかね??
私は士分に取り上げられてからの「義助(よしすけ)」のほうが好きだったりしますvv
「義」の一文字がはいってるところが「誠」とかを愛したこの人らしいなァ・・・とwww
藩医の家柄なんで、そのころは坊主頭です。
でも文久三年に士分にとりあげられたときは、髪ものばしてたみたいですが。
長身色白男前で美声って・・・・どんな坊さんだ!!(爆)
Posted : 2008/03/01 23:21
6d1db8b6.jpg大蔵ーーー!!
維新後は山川浩ですけど。
会津藩のいいとこの出。斗南藩大参事。
陸軍少将、男爵。

妹の捨松ちゃんとか弟の健次郎とかに知名度では負けてるかもだけど好きだよww

あれ・・・?
でも会津戦争のときって大蔵の軍は洋装が多かったはず・・・(だからたいして怪しまれずに彼岸獅子入場は成功したんだし・・)
じゃあ率いてた大蔵も洋装だったはず、うわ、間違った。。

・・・まァいいか(笑)

こいつ何気に反骨精神というか・・・藩の指定した学問は嫌って陽明学に走ったり、けっこうな危険人物だよね!!(爆)
執念深いしww

でもまァ・・会津期待の星ですから☆

奥さんは会津戦争ん時、城で怪我してお亡くなりに・・・。
この人、ロシアへの渡航経験あったり、土佐藩士の長刀をからかって、予想外にビビらされたり、けっこう面白い人です(^^)
藤田五郎(斉藤一)の仲人つとめたり、一緒にお酒のんだり、仲良し(笑)
「知恵山川」の異名をとり、同藩の「猛将」・佐川官兵衛に対して「知将」と言われる山川・・・。

この人が長州の山田市之允(山田顕義)の部下になってるときはびびったww
だって西の「知将」だよ、市ィは!
「小ナポレオン」ですよ!
その部下に山川って・・・。
スゲー組み合わせ(。。)
Admin / Write / Res
カウンター
最新CM
[07/07 みち]
[10/23 MINORU]
[07/19 那智]
[07/04 こづゆ]
[07/04 那智]
プロフィール
HN:
イフウ
性別:
女性
職業:
会社員
趣味:
読書、日本史、小説イラストかく
自己紹介:
マンガ、日本史、小説に異常に執着する人間。
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。

★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
ブログ内検索
バーコード
最新TB
フリーエリア
Copyright ©  徒然日記  All Rights Reserved.
*Material / Template by tsukika  *忍者ブログ [PR]