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晋作の愛人・おうの(源氏名・此の糸)の出家後の名前。
ばいしょ。
今まで特に何も思ってなかったんだけど。
梅処・・・・ばいしょ。
梅の花の咲く場所。
・・・・・・・何か泣きそうになったよ。
晋作が好きになった人。
梅の花を愛した彼は、自分の愛した人にもその名をつけたのかな。
長州藩士。童顔ちびっ子。
松下村塾のマスコット(笑)
國學院大學創立者、司法大臣、大村益次郎にも教えをうけ、戊辰戦争ではその用兵の奇才っぷりを発揮し「小ナポレオン」の異名をとり、西郷隆盛にもほめられたww山田市之允こと後の山田顕義。
彼について書かれた本なんですが。
市ィのお墓は墓所整備のときに学術調査されたことがあって、そのとき毛髪からA型、あと推定で150.1センチ、もしくは153.3センチってわかってるんですって!!
やっぱちっさいな市ィ・・・・・ww
そして色々とささやかれる市ィの死因。
肺炎・心臓麻痺・事故から暗殺説まであるじゃないですか。
んでやっぱ頭蓋骨の陥没・・・・これは明らかに「外傷」らしいんですが、「直角に向う刃器の刺入などによって生じたものと認められる」って・・・・・え??
私は真っ先に長州の槍の得意なヤツが浮かびましたが・・・・(わかる人にはわかるかも;)
ね、ガタ!!((ぁ
まぁ、結局はよくわからないんだけどね!!;
市ィが謎の死をとげた生野銀山・・・・生野の変で南八郎(河上弥市)が最期を遂げた場所だもんね。
なんていうか・・・享年四十九歳ってほかの長州閥の元老からしたらはやすぎるし、軍人としての才能がありながら司法の道に行き、教育にも携わった市ィには・・・・やっぱ松陰先生の教えを感じるよなぁ・・・。
市ィはかわいいだけじゃないんだね!!(笑)
龍馬と世界の海援隊するのって楽しそうだよね~(笑)
ホントわくわくしそう!!
んで陸奥とも仲良くなりたい!!(はいバカー)
中岡も好き!
明治に入って土佐人で政府入りするなら中岡と武市さんに是が非でも入って欲しかったよ!!
土方さんが・・・生きてるのって何か想像つかない。。。
土方さんは函館で散るのが一番彼らしく思えてしまう・・・。
薩長がつくった政府をこの人が受け入れられるとは思えない・・・;;
でも、この人が平凡に幸せに生きてるのもそれはそれで嬉しいかもww(どっち?)
総ちゃんが生きてんのはフツーに嬉しいと思う!!(沖田総司だよww)
だってやっぱ死ぬのが早すぎるとしか思えない・・・・orz
でも総ちゃんは幕末のこの時代でなければ、すごく平凡に穏やかに暮らしてそう・・。
子供とかとすごい遊んでさ~~・・・・
高杉!!
いや、高杉が「十年の暇ほしい」とか言い出したら私も一緒に暇ほしいよww
一緒にお花見したいよ!
菊ヶ浜でおっかけっこしてェ・・・・(爆)
でも高杉お坊ちゃんだからワガママが半端なさそう・・・;;
まぁ、江戸時代の?いいとこ生まれで(大組だし)?息子は一人だけで、祖父母健在父母健在、体もそんな丈夫じゃない、とくればそりゃ甘やかされるわ!!
イイんだ!
そんなとこも素敵なんさ~・・・vv
久坂さん・・・・彼にも生きてて欲しかったな。
まぁ、この人はたぶんあの禁門の変で生きのびる道があったとしても選ばなかったとは思うけど。
個人的には生きてて欲しかったな・・・。
高杉も激しい所があるけど、激しさでいったら久坂さんの激情のほうがすごいかも。
高杉は破天荒でめちゃくちゃに見えても冷静に知略をめぐらすから。
久坂さんは・・・その「死」をもって長州に火をつけた。
後戻りできなくさせたよね(笑)
まるでその「死」をもって教えを完成させた松陰先生みたい;;
・・・・・・お腹いたくて某サイト様の小説見てたら、ふとこの人たちがあの時死なずに生きてたらな~と思ってしまった。
・・・・・そんだけvv(久坂さんはあたしの勝手だが)
あたたかくなってきて、道端で目にする桜にときめきつつも近づく晋作の命日のため、ますます頭が晋作でいっぱいになりつつあるイフウです(笑)
「真偽」
この言葉を想うとき、奇兵隊三代目総督・赤根武人の「真は誠に偽りに似 偽りは以って真に似たり」という最期の言葉を思い出します。
梅田雲浜に学んだ赤根さん。
師と呼べる人に先立たれというか・・・なかなか大変な想いをしてると思うんだけど。
長州が俗論派(幕府へ謝罪恭順)と正義派(武備恭順倒幕)にわかれた時期。
このとき高杉晋作がクーデター(功山寺決起)で俗論派を倒し、藩論を倒幕へと転向させるんですが、赤根さんはそのクーデターに反対だった。
まァ、長州の俗論派を万が一倒せたとしてもその後ろには長州征討の幕府軍十五万がせまっている。
そんなときに長州藩内で内戦とか、ありえませんもんね・・・;;
だからこそ赤根さんは俗論派と正義派の和平のために動き、征長軍ともおりあいをつけようって奔走するけど、晋作の決起が成功したため、裏切り者として長州から追われる身となり、一回の審判もなく処刑された。
晋作も己の信じた道をいき、赤根さんも己の信じた道をいった。
二人とも長州を思った気持ちはいっしょだったのに、この違いはなんだろう・・・・。
赤根さんは赤根さんのやり方で長州の危機を救おうとしただけなのに。
晋作の英国公使館焼き討ちのメンバーにも赤根さんは入ってた。
そんな昔から一緒だった人なのに。
だから晋作も晩年、赤根さんを殺したことを後悔してたみたいですけど・・・。
私には・・・晋作の決起に最初は無謀だって反対しておきながら後々晋作たちが有利になってから味方になった人たちのほうがよっぽどずるいと思えるけど・・・(あ、でもガタもそういう奴だ・笑)
源平争乱とか。
まァ、私を歴史にハマらせてくれたのは織田信長ですが、興味を持たせてくれたのは義経ですからvv
平家物語とか、中学のときに読んでたなァ~~。
安徳天皇入水でぼろぼろ泣いた記憶が・・・ww
あと平家の人ではいちばん好きなのは平知盛!!vv
カッコイイですよ~・・・平家の滅亡を見届けて入水した彼にはもう絶句しました!!
<安徳天皇>
この子、三歳で天皇になって八歳で死ぬんだけど・・・。
『平家物語』で美しい・花のかんばせ・大人びている・聡明・あたりも照り輝くほど・・etc・・といわれてて髪が黒々としてて長かったやらなんやらで実は女の子だったんじゃ説があったり・・・(こういう実は女だった、又は男だったみたいな説ってよくあるよね)
「尼御前 我をばいづちへ具してゆかんとするぞ」
この安徳帝の入水場面は切なすぎ・・・。
この後の会話で、二位の尼が、
「浪の下にも都はさぶろうぞ」
ってあの言葉をいうんですが・・・・;;
あとこの時代らへんの人で不憫だと思うのが崇徳院。
保元の乱を起こして弟の後白河に負けて讃岐に流されますが、この人そんなに悪い人じゃないと個人的には思ってます(笑)
崇徳は鳥羽さんとその奥さんの璋子(待賢門院)の子だけど。
実はこの璋子さんが昔、鳥羽の祖父・白河にあずけられてたときに白河に手を出され・・・鳥羽の奥さんになってからもその関係は続き・・・生まれたのが崇徳で。
だから鳥羽は息子の崇徳を「叔父子」と呼んで疎んでた・・・っていう・・・話がある。
まァ、信憑性あるのかないのか・・・孫の嫁に手を出す元気なじーちゃん・白河さんにびっくりってだけで・・・(笑)
こんな生い立ちのためか・・崇徳さんはこんな院政まっさかりの時代に院政させてもらえないし。
保元の乱の後、流罪になってからも一生懸命かいた写経を送り返されたり・・・・私もよく物を書き写したりってやるけど・・・・大変なんだぞ!!(泣)
しかもこの時代はシャーペンやペンじゃないから墨すって筆で一生懸命いまよりもっと大変な思いして書き上げたものをそんな無下に扱われたら・・・・・ッ!!(大泣)
そりゃ怒るって!!
けっきょく爪やら髪やらのばし続け、自分の舌を噛み切った血で、「我、日本国の大魔縁となり、皇をとって民とし、民を皇となさん」って呪いの言葉をのこして、崇徳さんは亡くなりますが・・。
田中新兵衛(薩摩)
河上彦斎(肥後)
岡田以蔵(土佐)
・・・・・の四人。
ほかにも「人斬り」はいたけど、有名なのはこの四人。
☆半次郎さんはもうホント堂々としてて無邪気で男前(笑)
じっさいモテたそうでvv
この人、自分が行った暗殺を日記に書くからねww
維新後の「桐野利秋」も好きvv
☆新兵衛さんは・・・・私、この人の死は幕末の謎の一つだと思うよ・・・。
攘夷派若手公卿・姉小路公知が暗殺された。
その場に新兵衛さんの刀があったことで彼は疑われ、そして取調べのとき刀を見せられた彼は・・・・紛失していた自分の刀を見て驚き、けれど愛刀を失くしたことを恥じ、役人の一瞬のスキをつき、割腹した。
彼が公知を暗殺したなら刀を見て驚くのはおかしいし・・・・いったい誰が彼をはめたのか。
公知を殺したのか。
この後、薩摩は御門の警備をとかれるし・・・。
☆彦斎は・・・・・幕末随一の知識人・佐久間象山を暗殺して、それ以後刀を握らなかったそうで・・・。
わたし「無頼」の彦斎が男前すぎて笑いましたけどね(笑)
☆岡田以蔵・・・・彼の最期と辞世は切なすぎる・・・・・(泣)
主義も主張も善悪もなく、ただ武市先生のために・・・っていう。
身分制度の厳しい土佐で・・・・足軽だった彼はどれほどつらい思いをしたんだろう。
衆目駭然(がいぜん) 敢えて正視するものなし
これ、我が東行高杉君に非ずや
・・・・・晋作の碑文の始まり。
この文、まだ続きもあって、文は俊ちゃん(伊藤博文)が考えてくれたんだけど・・・・・ありがとおおおおおお俊ちゃん!!!
晋作の行動の特徴を端的かつ、的確にあらわしてくれてると思います(笑)
スゲー素敵文章!!vv
「識見気魄他人及ぶなく、人の駕馭を受けざる高等の人物なり」
・・・・これは松陰先生が晋作をあらわした言葉ですけど。
晋作の識見、久坂の才能を先生は大切にし、二人がお互いを大切に切磋琢磨してくれるようにしてますよね。
でも先生は桂さんと「晋作の頑質」も話題にしてるし、晋作の欠点もいいほうにいくようにしっかり見てます。
晋作が雷電の如く動けたのも先生から教えられた死生観や、松陰先生が己の号「二十一回猛士(生涯で二十一回の勇気ある行動をする)」にこめた想いを理解していたからなんだろうな。
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつまでも生くべし」
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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