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吉田松陰寅次郎(寅年生まれの次男だから)。
号は二十一回猛士。
この人の叔父・玉木文之進がつくり、後に松陰が主催した萩城下の東、松本村にある「松下村塾」、民家の納屋を改造した八畳間(後増築)の小さな塾ですが、この塾から維新回天は始まったんじゃないかと思ってしまうくらい、この塾からは驚くほど人材がでます。
(有名な人を上げるなら、高杉晋作・久坂玄瑞・入江九一・吉田稔麿・伊藤博文・品川弥次郎・前原一誠・時山直八・山田顕義・山縣有朋・松浦松洞・寺島忠三郎などでしょうか・・桂さんは松陰が藩校・明倫館で教えてた頃の生徒)
松陰先生は教育者、思想家、兵学者ですけど、私の中ではひどく清廉なイメージの人です。
まずこの塾が今の学校と違うところは先生である松陰が生徒たちのことを「友」と呼んだことだと思います。
生徒が「ご教授をお願いします」と言うと、
松陰は「私は教授はできませんが、君たちと一緒に研究をすることはできます」と言った感じで、松陰は生徒たちを「諸友」と呼び、自分も未熟者だと生徒たちの中に入り、互いを高め合っていくというその教育方針が、身分が良くなければ入れない藩校や封建制の縦社会の中では絶対生まれない、「友だち」や「仲間」という意識を生んだんだと思います。
そして松陰って人の才能を見つけ、伸ばすことに異常に長けているんです(笑)
その上、情報を重視し、過激で、純粋、しかもお人よしという・・・可憐な人。
そんな彼は安政の大獄・・・幕府による弾圧で、評定の場で幕府がまだ掴んでいなかった情報まで自白しちゃってたり、その影響力を危険視されたりで死罪になるんですが、その辞世、
「身はたとひ 武蔵野野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」
「親思ふこころにまさる 親ごころ けふの音づれ 何と聞くらん」
(私が親を思う、それ以上に私を思ってくれる父や母は私が死ぬという今日の知らせを何と聞くだろう)
この人らしいなァ・・・とひどく切なくなりました。
私も才能を見極めてもらいたい(切実)
すこし気になったんですけど、
松陰先生の辞世の句、土方さんの辞世の句と
なんだか似ていませんか?
諸説ありますが、そのなかの
「たとひ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも」
の部分です。偶然でしょうか?
…私もみんな好きですが、あえて名前を挙げると
土 方 さ ん で す !
でも大河の頃知らなかったので全部は
見たことないんです「組!」。。。泣
キャスティングがいいなぁと思います。
個人的には土方さんの辞世は
「よしや身は 蝦夷の島辺に朽ちぬとも 魂は吾妻の 君や守らむ」の吾妻が誰だったのかが気になってます(笑)
「組!」はイイですよね~。私もまた見たくてDVD借りに行こうかとは思ってるんですけど・・。
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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