日記、歴史などなど
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「ドキ☆ドキ一人旅~あの人に会いたい!!~in山口」
三日目。
5:00に目が覚める・・・。
まだ外暗いです・・・。
5:45明るくなりだしたので散歩に出発。
三日目。
5:00に目が覚める・・・。
まだ外暗いです・・・。
5:45明るくなりだしたので散歩に出発。
道はあってるのか・・と不安に思いながら歩く。
ああ、この時間帯にカメラ持ってうろうろしてる人間は不審者ですかね??
何か新聞配達やゴミだしに外に出てきた人にじろじろ見られる・・。
袖解橋に到着。
そこからちょっと歩いたところに発見!!!
「世外井上馨候遭難之地」!!
聞多さんvv藩主の前の御前会議で幕府への謝罪恭順をとく保守派と武備恭順をとく革新派の聞多さんは激論をかわして・・・そしてその後自宅への帰り道に保守派からの刺客に襲われ膾切りに・・・・所郁太郎さんに感謝(聞多を手当てした医者)!!!
聞多さん生きててよかたああああ(T□T)
その後、周布公園に。
「嗚呼長藩柱石周布政之助君碑」と書いた碑が。
昨日は暗くなってから来て写真撮ったらめちゃくちゃ原因不明の光が写りこんで後ろお墓だから怖くなって帰ったんですがね、今日はフツー。
周布さん・・・村田清風の後継者のあなたが晋作や松陰先生みたいな革新的な人たちを保護してくれてたから、みんなすごい助かったと思うんだ。
後ろの共同墓地に周布さんのお墓もあります。
「麻田公輔」の名で(土佐藩主山内容堂と一悶着あったときに名前かえたから)
。・・・・・・・・・・お花枯れてる・・・。
お花買ってくればよかったなぁと思いつつ、お線香あげてきました。
ホテルをチェックアウトして、下関に向かいます。
晋作が亡くなったのは下関ですからね・・・(遠い目)
まず、下関では萩藩(宗家)の支藩・長府藩の城下町・長府へ。
ここには功山寺と長府博物館・万骨塔を見に来ました。
城下町長府・壇具川。
・・・・・・・・ほたるいるんですか??
ここに来るまで壇ノ浦通ったり前田砲台跡、みもすそ川公園通ったりで楽しかったです。
壇具川の鴨。
かわいい~!!!
列を作って歩いてて、川の浅いところではとことこ歩いて、深くなるとす~っと泳ぎだす彼らがとてもかわいいvv
癒されました。
「高杉晋作回天義挙之所」の文字が。
功山寺到着です。
藩論転換のために高杉が長府功山寺で決起した。
「功山寺決起」とか「馬関義挙」とか言われてますが、私は今回I坂先生の『高杉晋作を歩く』を参考に巡ったのですが、先生いわく功山寺は晋作が五卿(七卿が病没とかで減った)に挨拶に寄った場所であって、新地の会所を襲ってはじめての「決起」「挙兵」なんだそうな。
でも功山寺決起って言いやすいんだよね;;
きた!!この銅像がみたかったのvv
一枚しかのせてないけど、いろんな角度からとりまくったからねww
五卿に「これより長州男児の腕前をお目にかけ申す」と挨拶し、紺糸縅の小具足に陣羽織をまとい、兜を首にかけ、馬上の人となった晋作の姿は白銀の世界に映えただろうなぁ~・・・。
なんなんだ、この男は(笑)
どんな挨拶!!?
かっこよすぎるからね!!?
五卿がいた部屋。
晋作が挨拶したのは方丈の間らしいので、晋作どこらへんに座ったのかな~とうろうろしました(爆)
だって・・・ww
あと桂さんから来島のじい様宛ての書状や、久坂さんたちの七卿落ちの絵や歌がありました。
そして万骨塔と博物館を見て、万骨塔にはお線香をあげて帰りました。
そしてバス停に向かっていると何か発見。
「報国隊 野々村勘九郎」の文字が。
・・・・・・・ああ!!あの奇兵隊との仲の悪さが他国にまで評判の報国隊ですか!!!ww
でもこの野々村さんは陥れられて亡くなった方だそうです。
無念だったろうなぁ・・。
長州って諸隊多いですよね・・・萩に向かう途中鴻城って学校見たとき、ゴキブリ並みの生命力☆不死身の聞多の鴻城隊を思い出して笑えたww
そしてお次は光明寺。
ちょ!階段!!高校でもエレベーターつかいまくってた人間ですよ!!大学でもエレベーターつかってんですよ!!
きつい・・。
文久三年五月十日、外国船の攻撃を開始した久坂さんたち光明寺党が屯所にした所。
このとき晋作は萩でおとなしく静観してます。
晋作は周りのテンション上がると落ち着くからねww
この光明寺党が後の奇兵隊の母体。
奇兵隊はこの外国船攻撃の後始末のために結成されるんですから・・・(笑)
そして晋作の陶像を見るために光明寺から少し歩いて日和山公園へ。
「へ~この階段のぼるんだぁ・・・・(遠い目)」
おい。
光明寺よりずっとやばいじゃないかあああああ!!!(@□@)
しかもこの階段上りきってもさらに階段があるという罠ww
死ぬかと思った。
たどり着きましたよ、晋作のもとに!!
愛を試されてる気さえします・・・・・・・・・orz
日和山は桜の名所でもあるそうなので、今度は桜の咲いてる季節に来たいなぁ~・・。
晋作刀長いの好きだよね。
身長小さいんだから無理しなくていいのに・・・引きずりそうなくらい長いの持たなくたって・・・(笑)
その後、大歳神社に。
(ふらふらしたから階段上っていかなかったんだけど、私はそれを後に後悔する・・・)
源義経が戦勝祈願したんだそうな。
あと鳥居は奇兵隊の一員でスポンサーの商人・白石正一郎さんの寄進。
あー・・・ばっちり名前入ってますね。
赤間神宮宮司もしてましたよね??この方。
この人、すごい大商人かと思いきや、そうでもなかったそうです(by I坂先生)
でも家財傾けてまで晋作に協力してくれてありがとう!!
晋作のお葬式もありがとう白石さん!!!
そして桜山神社招魂場に向かいます。
晋作の発議でつくられたという、わが国最初の招魂場。
鹿児島の南州神社に似た雰囲気があります。
あの「猛烈の奇兵何の志す所ぞ・・・」
で始まり「・・共に招魂場上の花とならん」で終わる晋作の歌は、ここを詠んだ歌なので、それを思うと泣きそうでした。
歌にあるように晋作の魂はここにある気がするんですよ。
生き永らえたと恥じるこの人もまた、二十七歳八ヶ月という若さで鬼籍の人となる・・・。
そして桜山神社を下りていった所にある厳島神社。
長州兵が小倉城からとってきた太鼓。
フツーに置いてあるんですねww
厳島神社の下のほうに、萩藩新地会所跡があります。
ここを襲っての晋作の決起なんですねェ・・・。
あと「ビビンバ晋作」ってお店が・・・www
晋作って名前の入ったお守り欲しかったのに、お店に人がいなくて買えませんでした・・。
残念!!
そして線路のせいで遠回りして「高杉東行療養之地」へ。
西行法師にあやかった晋作の号・「東行」の名で書いてあるんですね。
どこにあるんだろう・・・??
あった・・・!!!
何かふつうに人の家の密集地にポンってあるんで分かりにくかったです。
ここに書いてある歌では晋作は自分の思うようにならない体を「残骸」とか言ってんですよ。
思うようにならない結核におかされた体が歯がゆくてたまらなかったんだろうな・・・。
そして高杉晋作終焉之地に向かう・・・。
迷った・・・(またかよとか言わないでね!!)(@□@)
道行くおばさんに尋ねる。
「すいません、高杉晋作の終焉の地ってどこですか?」
「おばちゃん連れてってあげる」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・マヂっすか!!?
私はチキンだからぜったい地元の方との交流なんてできないと思ってたので嬉しかったvv
そしてたどり着いた終焉之地。
わーほんとに小さな広場にポツンと・・・・。
でも、ここで息を引き取ったんだよね・・・・。
しばらくここに居ました。
紙パックとかゴミが捨てられてたから思わずそうじしちゃったじゃないか!!!
そしてさっきのおばさんに案内してもらって晋作が身を隠してたという「ひょうたん井戸」へ。
これがその井戸。
確かに案内してもらってよかったぁ・・・!!!
すごいわかりにくい場所でした。
近くの家のおじさんからお話をうかがったところ、もっと昔は丸い形の井戸で水もたくさんあって、ここら辺の人はみんなこの井戸を使ってたんだって。
井戸に隠れるって・・・どんなふうに隠れてたんですかね??
おばさんにお礼を言って別れて駅に帰る。
下関でどーしても行きたかったところはけっこう行ったなぁ・・・あと奇兵隊結成の地とー・・・と思ってふと、
「晋作のお墓行ってないじゃん!!!」
いやいやいやいや、一番大事な場所ですよ;;
どうやったら行けるのかと調べてるところに「東行庵入り口」と書いたバスが停車。
「これだー!!!」と後先考えずに乗り込む私ww
そしてバスに揺られて一時間ほど・・・・・・・・。
うそぉ・・・予想外の遠さでした。
もし帰りのバスなかったら私どうやって駅近くのホテルまで帰ろうかとかなり不安になりつつ、バス停から10分程のところにある「東行庵」へと向かいます。
東行記念館。
もちろん入りました。
でも時間のせいでゆっくり見学できなかったのが心残り。
今度来たときはゆっくり見たいです。
たくさん本買いました。
私が鹿児島でかったあの焼き物キーホルダーも売ってました。
すごい可愛いシールを購入♪♪
今思うと何故一枚しか買わんかったんだろう・・・。
保存、使用用で、最低二枚はいるだろう・・・ッ!!(キモィ)
「鹿児島からきました~」って話してたらパンフとおまけをもらいました。
ありがとうございます~!!(感涙)
ここにもあります。
晋作の像。
日和山のと同じ感じ。
でも日和山の晋作は顔めっちゃ厳しいから(爆)
吉田はとっても静か~な場所でした。
晋作が「吉田へ・・・」って遺言して、奇兵隊の陣屋もここにあったからってのもあって晋作の遺体は清水山の麓に葬られたんで・・・。
晋作の愛人・おうのさんは梅処尼と号してまだ20代ふだったのに晋作の墓守になってずっと晋作の墓を守ってくれてたのですね。
東行庵。
おうのさんは晋作の死後も座敷に出ようとするから晋作の名に傷がつくと聞多と俊ちゃんが無理やり尼にしてしまったって話があるから、晋作はおうのさんを愛しててもおうのさんが晋作をどう思ってたか・・・が謎な部分があったんですけど、やっぱり、おうのさんも晋作を想ってたと思います。
晋作の顕彰碑がなかなか届かなくて、「旦那のが来ない・・・」と言いながら儚くなられたおうのさん。
白石さんの日記に「おうの直様行(すぐさまいく)・・・」と書かれるくらい晋作の帰りを待ってたおうのさん。
わざわざ大寧寺の弟子になってまで、墓守になったおうのさん。
晋作のこと想ってなきゃできないとおもうんですよ(夢見てるかもしんないけどさ・・)。
晋作のお墓。
私は基本、お墓はとらないようにしてるのですが・・・今回は祖父のためにとらせてもらいました。
ちゃんとお花もあって、線香のあともあって、胸がいっぱいでした。
私のほかに誰も居なかったのもあって、ただ立って見てました。
もうバスの時間とかさっぱり忘れてましたよ;;
ここに眠ってるんですね。
体はここにあるんですね。
誕生日までにはこれたから、次は命日か、梅の季節にきたいですね。
晋作が愛した梅が咲いている季節に。
隣にある晋作の親友・福田さんのお墓、一段下にある愛人・おうのさんのお墓にもお参りしてきました。
後ろの上のほうにはお雅さん(晋作の正妻)や息子の東一くんのお墓もあるんですよね??
そこはまたの機会に・・・と思って見てないのですが・・・。
近くの売店に行くともうすぐのバスが居るよ!!!って言われて「えー;;」と走る。
近くのコンビ二で肉まんと小岩井購入ww(あ。今日はじめての食べ物ww飲み物は飲んでたけどさ)
こづゆさんの所で小岩井話を見てからよく飲むようになった(笑)
小岩井の「井」は井上勝の「井」なんだねェvv
コンビニの店員さんと話す。
鹿児島に行ったことがあるとかで話が盛り上がる
バス停が田んぼのあぜ道っぽいとこにあるんで下手すると田んぼに落ちるww
水子地蔵が近くにあることに気づく。
そしてやっと来たバスで駅に帰る。
その後白石さんちがあったという奇兵隊結成の地を見てホテルにチェックイン。
レストランに行く。
宿泊客は割引がきくらしいので思い切ってフグを食べてみたvv
おいしかったww豪華でした☆
隣りの隣りの席のほうの三人組のおじさんたちが話をしてる。
何か「高杉晋作が奇兵隊をどーたらこーたら・・・」聞こえてくる。
まざりたい・・・・ッ!!!!!!!
一人のおじさんが晋作の話をしてるおじさんに向かって「そういえばあんた何か晋作に似てるなぁ」とか言い出す。
「似てないよおおおおおお!!!!(泣)ちょ!何いってんだ!!」って怒鳴りたくなった(爆)
そして白石さん寄進の鳥居があった大歳神社・・・体調のせいで階段のぼらなかったけど、階段上がると七卿落ちの絵があったらしい・・・。
明日見てやるんだからー!!!(泣)
と心に決めて就寝。
今日の部屋は九階でした☆
そして気づいた。。。。。
日傘なくした・・・・・・orz
ああ、この時間帯にカメラ持ってうろうろしてる人間は不審者ですかね??
何か新聞配達やゴミだしに外に出てきた人にじろじろ見られる・・。
袖解橋に到着。
そこからちょっと歩いたところに発見!!!
「世外井上馨候遭難之地」!!
聞多さんvv藩主の前の御前会議で幕府への謝罪恭順をとく保守派と武備恭順をとく革新派の聞多さんは激論をかわして・・・そしてその後自宅への帰り道に保守派からの刺客に襲われ膾切りに・・・・所郁太郎さんに感謝(聞多を手当てした医者)!!!
聞多さん生きててよかたああああ(T□T)
その後、周布公園に。
「嗚呼長藩柱石周布政之助君碑」と書いた碑が。
昨日は暗くなってから来て写真撮ったらめちゃくちゃ原因不明の光が写りこんで後ろお墓だから怖くなって帰ったんですがね、今日はフツー。
周布さん・・・村田清風の後継者のあなたが晋作や松陰先生みたいな革新的な人たちを保護してくれてたから、みんなすごい助かったと思うんだ。
後ろの共同墓地に周布さんのお墓もあります。
「麻田公輔」の名で(土佐藩主山内容堂と一悶着あったときに名前かえたから)
。・・・・・・・・・・お花枯れてる・・・。
お花買ってくればよかったなぁと思いつつ、お線香あげてきました。
ホテルをチェックアウトして、下関に向かいます。
晋作が亡くなったのは下関ですからね・・・(遠い目)
まず、下関では萩藩(宗家)の支藩・長府藩の城下町・長府へ。
ここには功山寺と長府博物館・万骨塔を見に来ました。
城下町長府・壇具川。
・・・・・・・・ほたるいるんですか??
ここに来るまで壇ノ浦通ったり前田砲台跡、みもすそ川公園通ったりで楽しかったです。
壇具川の鴨。
かわいい~!!!
列を作って歩いてて、川の浅いところではとことこ歩いて、深くなるとす~っと泳ぎだす彼らがとてもかわいいvv
癒されました。
「高杉晋作回天義挙之所」の文字が。
功山寺到着です。
藩論転換のために高杉が長府功山寺で決起した。
「功山寺決起」とか「馬関義挙」とか言われてますが、私は今回I坂先生の『高杉晋作を歩く』を参考に巡ったのですが、先生いわく功山寺は晋作が五卿(七卿が病没とかで減った)に挨拶に寄った場所であって、新地の会所を襲ってはじめての「決起」「挙兵」なんだそうな。
でも功山寺決起って言いやすいんだよね;;
きた!!この銅像がみたかったのvv
一枚しかのせてないけど、いろんな角度からとりまくったからねww
五卿に「これより長州男児の腕前をお目にかけ申す」と挨拶し、紺糸縅の小具足に陣羽織をまとい、兜を首にかけ、馬上の人となった晋作の姿は白銀の世界に映えただろうなぁ~・・・。
なんなんだ、この男は(笑)
どんな挨拶!!?
かっこよすぎるからね!!?
五卿がいた部屋。
晋作が挨拶したのは方丈の間らしいので、晋作どこらへんに座ったのかな~とうろうろしました(爆)
だって・・・ww
あと桂さんから来島のじい様宛ての書状や、久坂さんたちの七卿落ちの絵や歌がありました。
そして万骨塔と博物館を見て、万骨塔にはお線香をあげて帰りました。
そしてバス停に向かっていると何か発見。
「報国隊 野々村勘九郎」の文字が。
・・・・・・・ああ!!あの奇兵隊との仲の悪さが他国にまで評判の報国隊ですか!!!ww
でもこの野々村さんは陥れられて亡くなった方だそうです。
無念だったろうなぁ・・。
長州って諸隊多いですよね・・・萩に向かう途中鴻城って学校見たとき、ゴキブリ並みの生命力☆不死身の聞多の鴻城隊を思い出して笑えたww
そしてお次は光明寺。
ちょ!階段!!高校でもエレベーターつかいまくってた人間ですよ!!大学でもエレベーターつかってんですよ!!
きつい・・。
文久三年五月十日、外国船の攻撃を開始した久坂さんたち光明寺党が屯所にした所。
このとき晋作は萩でおとなしく静観してます。
晋作は周りのテンション上がると落ち着くからねww
この光明寺党が後の奇兵隊の母体。
奇兵隊はこの外国船攻撃の後始末のために結成されるんですから・・・(笑)
そして晋作の陶像を見るために光明寺から少し歩いて日和山公園へ。
「へ~この階段のぼるんだぁ・・・・(遠い目)」
おい。
光明寺よりずっとやばいじゃないかあああああ!!!(@□@)
しかもこの階段上りきってもさらに階段があるという罠ww
死ぬかと思った。
たどり着きましたよ、晋作のもとに!!
愛を試されてる気さえします・・・・・・・・・orz
日和山は桜の名所でもあるそうなので、今度は桜の咲いてる季節に来たいなぁ~・・。
晋作刀長いの好きだよね。
身長小さいんだから無理しなくていいのに・・・引きずりそうなくらい長いの持たなくたって・・・(笑)
その後、大歳神社に。
(ふらふらしたから階段上っていかなかったんだけど、私はそれを後に後悔する・・・)
源義経が戦勝祈願したんだそうな。
あと鳥居は奇兵隊の一員でスポンサーの商人・白石正一郎さんの寄進。
あー・・・ばっちり名前入ってますね。
赤間神宮宮司もしてましたよね??この方。
この人、すごい大商人かと思いきや、そうでもなかったそうです(by I坂先生)
でも家財傾けてまで晋作に協力してくれてありがとう!!
晋作のお葬式もありがとう白石さん!!!
そして桜山神社招魂場に向かいます。
晋作の発議でつくられたという、わが国最初の招魂場。
鹿児島の南州神社に似た雰囲気があります。
あの「猛烈の奇兵何の志す所ぞ・・・」
で始まり「・・共に招魂場上の花とならん」で終わる晋作の歌は、ここを詠んだ歌なので、それを思うと泣きそうでした。
歌にあるように晋作の魂はここにある気がするんですよ。
生き永らえたと恥じるこの人もまた、二十七歳八ヶ月という若さで鬼籍の人となる・・・。
そして桜山神社を下りていった所にある厳島神社。
長州兵が小倉城からとってきた太鼓。
フツーに置いてあるんですねww
厳島神社の下のほうに、萩藩新地会所跡があります。
ここを襲っての晋作の決起なんですねェ・・・。
あと「ビビンバ晋作」ってお店が・・・www
晋作って名前の入ったお守り欲しかったのに、お店に人がいなくて買えませんでした・・。
残念!!
そして線路のせいで遠回りして「高杉東行療養之地」へ。
西行法師にあやかった晋作の号・「東行」の名で書いてあるんですね。
どこにあるんだろう・・・??
あった・・・!!!
何かふつうに人の家の密集地にポンってあるんで分かりにくかったです。
ここに書いてある歌では晋作は自分の思うようにならない体を「残骸」とか言ってんですよ。
思うようにならない結核におかされた体が歯がゆくてたまらなかったんだろうな・・・。
そして高杉晋作終焉之地に向かう・・・。
迷った・・・(またかよとか言わないでね!!)(@□@)
道行くおばさんに尋ねる。
「すいません、高杉晋作の終焉の地ってどこですか?」
「おばちゃん連れてってあげる」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・マヂっすか!!?
私はチキンだからぜったい地元の方との交流なんてできないと思ってたので嬉しかったvv
そしてたどり着いた終焉之地。
わーほんとに小さな広場にポツンと・・・・。
でも、ここで息を引き取ったんだよね・・・・。
しばらくここに居ました。
紙パックとかゴミが捨てられてたから思わずそうじしちゃったじゃないか!!!
そしてさっきのおばさんに案内してもらって晋作が身を隠してたという「ひょうたん井戸」へ。
これがその井戸。
確かに案内してもらってよかったぁ・・・!!!
すごいわかりにくい場所でした。
近くの家のおじさんからお話をうかがったところ、もっと昔は丸い形の井戸で水もたくさんあって、ここら辺の人はみんなこの井戸を使ってたんだって。
井戸に隠れるって・・・どんなふうに隠れてたんですかね??
おばさんにお礼を言って別れて駅に帰る。
下関でどーしても行きたかったところはけっこう行ったなぁ・・・あと奇兵隊結成の地とー・・・と思ってふと、
「晋作のお墓行ってないじゃん!!!」
いやいやいやいや、一番大事な場所ですよ;;
どうやったら行けるのかと調べてるところに「東行庵入り口」と書いたバスが停車。
「これだー!!!」と後先考えずに乗り込む私ww
そしてバスに揺られて一時間ほど・・・・・・・・。
うそぉ・・・予想外の遠さでした。
もし帰りのバスなかったら私どうやって駅近くのホテルまで帰ろうかとかなり不安になりつつ、バス停から10分程のところにある「東行庵」へと向かいます。
東行記念館。
もちろん入りました。
でも時間のせいでゆっくり見学できなかったのが心残り。
今度来たときはゆっくり見たいです。
たくさん本買いました。
私が鹿児島でかったあの焼き物キーホルダーも売ってました。
すごい可愛いシールを購入♪♪
今思うと何故一枚しか買わんかったんだろう・・・。
保存、使用用で、最低二枚はいるだろう・・・ッ!!(キモィ)
「鹿児島からきました~」って話してたらパンフとおまけをもらいました。
ありがとうございます~!!(感涙)
ここにもあります。
晋作の像。
日和山のと同じ感じ。
でも日和山の晋作は顔めっちゃ厳しいから(爆)
吉田はとっても静か~な場所でした。
晋作が「吉田へ・・・」って遺言して、奇兵隊の陣屋もここにあったからってのもあって晋作の遺体は清水山の麓に葬られたんで・・・。
晋作の愛人・おうのさんは梅処尼と号してまだ20代ふだったのに晋作の墓守になってずっと晋作の墓を守ってくれてたのですね。
東行庵。
おうのさんは晋作の死後も座敷に出ようとするから晋作の名に傷がつくと聞多と俊ちゃんが無理やり尼にしてしまったって話があるから、晋作はおうのさんを愛しててもおうのさんが晋作をどう思ってたか・・・が謎な部分があったんですけど、やっぱり、おうのさんも晋作を想ってたと思います。
晋作の顕彰碑がなかなか届かなくて、「旦那のが来ない・・・」と言いながら儚くなられたおうのさん。
白石さんの日記に「おうの直様行(すぐさまいく)・・・」と書かれるくらい晋作の帰りを待ってたおうのさん。
わざわざ大寧寺の弟子になってまで、墓守になったおうのさん。
晋作のこと想ってなきゃできないとおもうんですよ(夢見てるかもしんないけどさ・・)。
晋作のお墓。
私は基本、お墓はとらないようにしてるのですが・・・今回は祖父のためにとらせてもらいました。
ちゃんとお花もあって、線香のあともあって、胸がいっぱいでした。
私のほかに誰も居なかったのもあって、ただ立って見てました。
もうバスの時間とかさっぱり忘れてましたよ;;
ここに眠ってるんですね。
体はここにあるんですね。
誕生日までにはこれたから、次は命日か、梅の季節にきたいですね。
晋作が愛した梅が咲いている季節に。
隣にある晋作の親友・福田さんのお墓、一段下にある愛人・おうのさんのお墓にもお参りしてきました。
後ろの上のほうにはお雅さん(晋作の正妻)や息子の東一くんのお墓もあるんですよね??
そこはまたの機会に・・・と思って見てないのですが・・・。
近くの売店に行くともうすぐのバスが居るよ!!!って言われて「えー;;」と走る。
近くのコンビ二で肉まんと小岩井購入ww(あ。今日はじめての食べ物ww飲み物は飲んでたけどさ)
こづゆさんの所で小岩井話を見てからよく飲むようになった(笑)
小岩井の「井」は井上勝の「井」なんだねェvv
コンビニの店員さんと話す。
鹿児島に行ったことがあるとかで話が盛り上がる
バス停が田んぼのあぜ道っぽいとこにあるんで下手すると田んぼに落ちるww
水子地蔵が近くにあることに気づく。
そしてやっと来たバスで駅に帰る。
その後白石さんちがあったという奇兵隊結成の地を見てホテルにチェックイン。
レストランに行く。
宿泊客は割引がきくらしいので思い切ってフグを食べてみたvv
おいしかったww豪華でした☆
隣りの隣りの席のほうの三人組のおじさんたちが話をしてる。
何か「高杉晋作が奇兵隊をどーたらこーたら・・・」聞こえてくる。
まざりたい・・・・ッ!!!!!!!
一人のおじさんが晋作の話をしてるおじさんに向かって「そういえばあんた何か晋作に似てるなぁ」とか言い出す。
「似てないよおおおおおお!!!!(泣)ちょ!何いってんだ!!」って怒鳴りたくなった(爆)
そして白石さん寄進の鳥居があった大歳神社・・・体調のせいで階段のぼらなかったけど、階段上がると七卿落ちの絵があったらしい・・・。
明日見てやるんだからー!!!(泣)
と心に決めて就寝。
今日の部屋は九階でした☆
そして気づいた。。。。。
日傘なくした・・・・・・orz
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プロフィール
HN:
イフウ
性別:
女性
職業:
会社員
趣味:
読書、日本史、小説イラストかく
自己紹介:
マンガ、日本史、小説に異常に執着する人間。
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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