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ここから長州の苦難の道のりが始まる。
薩摩と会津の策略で京を追われた、あの日。
今まで築いてきたものをわけもわからぬまま奪われた日。
長州よりだった公卿七人と共に雨でぬかるんだ道を一歩、また一歩と足を進ませながら悔しさをかみ締めた。
(ちなみにイラストは久坂さん)
世は刈菰(かりこも)と乱れつつ 茜さす日もいと暗く せみの小川に霧立ちて
実美朝臣 季知卿 壬生沢四条東久世 其の他錦小路殿
今浮草の定めなき 旅にしあれば駒さえも 進みかねては嘶(いば)えつつ
降りしく雨の絶え間なく 涙に袖の濡れはてて これより海山あさじ原
露霜わきて芦が散る 難波の浦になく塩の からき浮世は物かわと
行かんとすれば東山 峰の秋風身にしみて 朝な夕なに聞きなれし
妙法院の鐘の音も などと今宵はあわれなる いつしか暗き雲霧を
払いつくして百敷の 都の月をめでたもうらん
ちなみに晋作の諱が「春風」でパパの小忠太は「春樹」。
晋作ってホントに親には弱いんだよね・・・・(笑)
破天荒で過激で滅茶苦茶な男のクセに、親と主君の言うことだけは聞くww
長州への傾きが半端ない私ですが、やっぱり佐幕も好きなんだなぁ・・・(幕末のきっかけは土方さんだし・笑)
「隻腕の剣士」として有名な伊庭八郎!!!
カッコイイなぁ~・・・「伊庭の小天狗」とか好きすぎるvv
細谷さんと星恂太郎を描きたかったのに・・・気づくと伊庭八と久坂さんを描いてるという罠ww
久坂さんの視線の先には道場があるんだぜッ★
何でこの二人かというと、久坂さんは安政5年に江戸で伊東玄朴の家に寄宿してたんですが、そのすぐ近所・・・ななめ向かいのほうに伊庭の家があったので・・・武士にあこがれてた久坂さんは道場気にしてたと思うし、伊庭とも道ですれ違ってる可能性もあるんだよね・・・(爆)
坊主頭の医者が道場を気にしてるという・・・ww
長州の皆を率いて倒幕のために奔りだす久坂さんと、幕府方について戊辰を戦う伊庭がこんなに近くに住んでたということに何だか世の中の狭さを感じた・・・・ww
ああ、わたし晋作好きだわww(何をいまさら!)
いや、晋作の漢詩とか読んでるとね、なんかふとそう思うんですよ(笑)
常に惚れて、惚れ直してます(爆)
その短い生涯の中で晋作は三百近くの詩を遺した。。。。
なんかね、詩を見るたびに、晋作らしさをすっごい感じて笑ってしまうww
志をうたい、決意をうたい、父母への想いをうたい、主君への心をうたい、長州への想いをうたう。
先に逝った同志たちへの歌や晋作一流の皮肉。
その鋭さ。
でも酒席での戯れ歌は思わず笑ってしまうようなもので。
晩年の病にかかってから嘆きのような詩は痛々しくて、儚くて、哀しい・・・。
以前紹介した「些々」の名で彼が詠んだ最期の歌は詠むと涙がとまらなくなります・・・。
テスト終わった・・・・・・!!!!
結果がどうかはわからないけどねッッ★
とりあえず終わりましたよvv ビバ夏休み!!!!(><)
久坂義助と高杉晋作。
桜の人と梅の人。
どこまでも潔く散りゆく桜。
散りて尚強い芳香を残す梅。
松下村塾の双璧。
二人って対照的なのにやっぱりどこか重なるんだよね。
久坂さんと晋作の人生でのやっぱ最大の出来事といったら私としては禁門と功山寺。
久坂さんは暑い夏、京洛の地で燃え盛る炎のなか逝った。
晋作は白銀の世界の中、たった80人で藩論転換の為に決起した。
・・・・晋作を知ったばかりの頃、この功山寺での挙兵がすごい印象に残ったんだよね。
白銀の世界のその中で紺糸縅の鎧を身につけ、桃型の兜を首にかけ、馬上の人となり、一言。
「これより長州男児の腕前をお目にかけ申す!!」
・・・・こんな芝居の一場面みたいなのが史実ってどーよ!!?みたいな(笑)
そういえば、★と細谷さん熱が出てきました。
仙台もかなり楽しいです。
この夏はたくさん本よむぜ!!!
だから書いとかないと忘れそう・・・(笑)
聞多や俊ちゃんは、文久三年の5月12日に国禁を破ってエゲレスへの密航留学のために日本を離れるから・・・この後の八月十八日の政変の頃には日本にはいなかったんだよね・・・・。
翌年の禁門にも参加してない。
薩長同盟のとき桂さんがぐちぐち言ったのは桂さんの性格もあるとは思うけど(笑)、やっぱり政変も禁門も体験してて最前線で外交してた桂さんだから文句も言いたくなるんだと思うww
長州諸隊の同盟反対も激しいし。
桂さんだって薩摩と手を組む必要はちゃんとわかってて、それでも言わずにはいられない。
政変の悔しさを。
禁門の絶望を。
それはどうしても居なかった人にはなかなかね・・・・。
でも居なかったからこそ、客観的に見てわかることもあると思うし。
聞多や俊ちゃんが武器購入のために長崎で小松っとんとあったりしてるし。
それぞれがそれぞれの「役割」をきっちり果たしてるから問題ないんだけどねッッ★
禁門の変は切なすぎる・・・!!!このときの長州の、久坂さんや桂さんの気持ちを思うと・・・・(でもこんな流れになった原因はほぼ薩摩だがな!!!泣;)
久坂さんが入江さんが、寺島が逝ってしまった日。
(ホントはもっといろんな人が亡くなってんだけど・・・)
「志士」は「死士」だから。
志半ばでで倒れることもそりゃ覚悟してただろうさ!
そんな道を奔ってるんだものこの人たち。
でも止まらない。
志がつながってゆくならば身体が滅びることにも躊躇しない。
身体の死より志の死のほうが、この人たちにとっては悲しいのだろうな・・・。
この戦いから「尊王」をかかげた長州が「朝敵」となり、長州人というだけで追われる日々が始まる。
一年前、あの文久の政変までは長州の独壇場だったのに。
華やかな周旋をおこない、その長州の舞台を築いたのは久坂さんだったのに。
たった一年後に「朝敵」の汚名をきて死んでいった。
この人の願った「倒幕」も「王政復古」も見ることなく・・・。
「防長年少中第一流」・・・・松陰先生は久坂さんのことをそう評した。
晋作も詩でいってるけど、ほんと先生のその評価に恥じない生き方をこの人はしたと思うんだ。
この戦いで逝った人たちの冥福を心から祈ります。
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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