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やわらかに笑う久坂さんが描いてみたかっただけなんだけど・・。
「誠」は久坂さんの名です。
あ。ちなみに「義助」は「よしすけ」が正しいらしい。久坂さん自身が手紙に「よしすけ」って書いてるみたいだから。
私は「ぎすけ」呼びが好きですが、長く「ぎすけ」だと思ってたんで(笑)
長州の「攘夷」は、水戸学の「夷人をうちはらう」という言葉通りのものとは違うと思う。
松陰先生の唱えた「攘夷」は、主体性を欠いた幕府を倒し、その後には「開国」が念頭にあった。
そもそも、私は「攘夷」は「異人に好き勝手はさせぬ」という国をまもろうという「気概」だと思う。
そういう心はこの時代の誰にでもあった。
新撰組でも、倒幕志士でも、何でもその心は変わらないと思う。
マンガとかでは高杉と比べてガチガチの攘夷論者っぽい久坂さんが多い気がする・・。
松陰先生の唱えた「攘夷」を継ぐならば、ガチガチの攘夷論じゃない気がするんだけど・・・。
久坂さんの直情性とか、激情・・・人をひっぱる力は本当にすごいと思う。
己の命なんて度外視して走るその姿は松陰亡き後の松門の支えだったんじゃないかな。
そんな人がたった二十五歳で・・・逝ってしまった。
でも、この人の「死」がきっと導火線に火をつけた。
いったい、この人に与えられた「天命」って・・・・・。
1863年、八月十八日・・・薩摩と会津の策略によって、長州と、長州よりだった尊攘派公卿七人が京を追われた・・・・・八月十八日の政変・・。
その後、久坂さんたちは京にいられなくなりその七卿とともに、十九日・・・京を脱出し、長州の周防三田尻に向かった・・・七卿落ち・・。
でもそのままじゃ、終われない。終わらせない。
兵庫で七卿とわかれ、久坂さんや桂さんは再び京に潜伏。
長州の復権をはかる。
けれど、国元で武力によって復権をはかろうという人々が出てきて・・・・それを止めようとしたけど、その流れを止めきれず、その流れの中で朝廷に弓を引いた「逆賊」として散った久坂さん。
「お国の久坂さんが生きていたら、お互い参議などといってられませんな」
明治になってから、桂さん(木戸孝允)に西郷どんがそう言ったという・・。
皮肉だよね、久坂さんが死んだ禁門の変・・。
その始まりになるような政変を起こした薩摩・・。
その薩摩が後々、西南戦争を起こす。
私学校の暴発を止め切れなかった西郷どんは、その大きな流れに身を任せ、(政府にとったら)逆賊として死んでいった・・・。
歴史は・・・大きな流れのようだと言ったりするけど・・・流れをジッと見つめて・・・上手くその流れをつかめる人はイイけど。
巻き込まれる人もいると思う。
流れが見えていたであろう、久坂さんも西郷さんもその流れに巻き込まれた。
どうしようもないものが、避けられないものがあったんだろうな・・。
「志道」って字がカッコイイよね、「こころざしのみち」だなんて・・・ッ!!ww
聞多さんはなんだかんだいって好きですv
明治では汚職事件の噂が絶えないし~江藤新平に追いつめられtるし~鹿鳴館外交は評判悪いし~略奪婚だし~ww
・・・・せごどんは彼を「三井の大番頭」って嫌ってますよねww
まァ、聞多さんは三井と関係があったみたいだし・・・。
でも聞多さんが珍しく財政がわかるひとだったから政府で重宝されてますvv
男らしい人っすよ!
闇討ちされて斬られまくって五十針以上縫われても生きてるというゴキブリ並みの生命力を見せつけ、
(恋人だった芸妓の君尾からもらった鏡が致命傷をふせいだとか)
実は世子の小姓をつとめるくらい高杉よりも身分的にはイイとこの出なのに、もともとは武士ですらなく中間出身だった伊藤俊輔とだいの仲良しvv
この女好き同士め!!
だって「お神酒徳利」ってよばれるくらいだよ?
変名は聞多が「春山花輔」・俊輔が「花山春輔」・・・・オソロイ。。。。
女子高生かこいつら。
しかもかんしゃくもち切腹癖あり、藩公のまえでも平気でどなりちらす・・。
村塾生じゃないけど、村塾生とは仲良しvv
けっこう年長組なんだけど、一番上のトップにはならない人(笑)
ぜったい誰かの下とかナンバー2ぐらいにいる。
高杉の顕彰碑の除幕式にあっついなか二時間も演説をして小学生を倒れさせる(爆)
そういえば・・・。
このブログって携帯でも見る分には支障はないはずなんだけど・・・もともとパソコン用だったからパソコンのほうがカテゴリとかリンクとか見やすいはず・・・。
私が機械に弱いばっかりに・・・・;;
すみません・・。
長州が好きです(何をいまさら)
いちばんは晋作だけど。
やっぱり、彼と「松門の双璧」といわれた久坂義助・・・。
彼がいま、すごく気になってます。
吉田松陰にその妹を妻にとこわれるほど、才に惚れられ、「防長年少第一流」・「その才能は縦横無尽」といわれ・・・
ほかにも、「久坂には誰でもついていきたかった」とか言われる人。
なんか攘夷派の超過激人物みたいになってるし、教科書にもそんなでてこんし・・。
でも、「久坂のお地蔵さん」っていわれるほど、美僧のようなみかけで、穏やかな優しい人(栄太に家族と会うようにすすめたりとか)・・・。
その死をもって教えを完成させた松陰の意志を継ぎ、松陰亡き後の村塾生をまとめ、桂小五郎と共に京洛の地で華やかな外交と朝廷への工作をやってのけた志士。
文久のあの日、薩摩と会津による政変で京を追われ・・・それでも、必死に京に潜伏し、国許の暴発に、あのどうしようもない流れによって、元治のあの戦で散った人・・・。
わたしは鹿児島生まれ鹿児島育ちですから・・・・純粋に鹿児島は好きだし、桜島見ればあったかい気持ちになるし、せごどんや一蔵どん、半次郎さん・・・薩摩の偉人も単純に好きか、嫌いか、といわれれば「好き」だと当然のごとく思います。
でも長州のなめた辛酸を考えると・・・。
すごい複雑な愛憎模様ww
好きだからこそ。
文久の政変・・・元治の戦・・・朝敵の汚名・・外国との戦い・・二度にわたる征討・・内訌・・。
あんな、長州の独壇場とも言うべき舞台を作り上げ・・・・その舞台・・・足元を突然、ひっくりかえされ、禁門の後は長州人だというだけで斬られる日々、「尊王」をかかげた彼らに「朝敵」の名はどれほどの絶望をもたらしたのだろう・・。
(そしてそんなボロボロの長州との同盟を一度すっぽかすって・・・薩摩あああ;;)
それを経て、やっとたどり着いた維新。
(・・・・こうしてみると長州って本当に幕末の争乱を一身に受けてる気がする・・。)
私は、明治維新が正しかったのかどうか・・・どうしても判断できないけど・・・それでも礎となった人たちは1867年の・・・王政復古のあの日を夢見たんだと・・・思う。
今日、卒業式だからかな、何か暗いな私・・・;;
高杉晋作と久坂玄瑞。
いや、何で坊主かというと・・・二人とも坊主頭の時期があったよなァ~ってだけなんですけど(笑)
「東行」は晋作の号です。
彼は西行法師をしたってたので、それをもじって。
晋作は「防長割拠」をとなえるんだけど、久坂や桂さんは外交をやめないし、攘夷がなんかブームみたいになって口先だけの攘夷志士が横行するのに嫌気が差した晋作が学習院御用掛けもやめて、「十年の暇を下さい」っていって頭そっちゃうんです(笑)
そのころの高杉は、
『大きな坊主笠をかぶり、腰に6,7寸の短刀を吊るし、酒におぼれて市街を横行。傍若無人、狂人の如くふるまう』
と、いわれています。
・・・酒弱いくせにねェ(笑)
「久坂玄瑞」・・・久坂さんはやっぱこっちの名前のが有名なんですかね??
私は士分に取り上げられてからの「義助(よしすけ)」のほうが好きだったりしますvv
「義」の一文字がはいってるところが「誠」とかを愛したこの人らしいなァ・・・とwww
藩医の家柄なんで、そのころは坊主頭です。
でも文久三年に士分にとりあげられたときは、髪ものばしてたみたいですが。
長身色白男前で美声って・・・・どんな坊さんだ!!(爆)
久坂さんちは長州の藩医の家柄です・・・・。
玄機兄ちゃんは藩から将来を期待された俊才で、緒方洪庵の適塾で塾頭をつとめたりもしてます。
黒船来航のさいには、それに対する藩への意見書を不眠不休でかきあげて、その無理がたたって絶命するというすさまじい情熱の持ち主・・。
惜しい人ですよね・・。
だからこそ早くに家督を継ぐことになった久坂さんは大人びてるんだろうなァ・・・。
久坂さんは頭脳明晰、容姿端麗もうありえないくらい才能にめぐまれてて・・・美声の持ち主で京都でも女性にめっさモテタ人ですけど・・・14のときにお母さんを、15のときに玄機兄ちゃんとお父さんを亡くすという・・家族にはまったく恵まれない人なので・・・(泣)
「どうして、あなただったのか・・」
何度も何度も思ったことを、聞多さんに代弁してもらったり(笑)
突然の聞多さんの言葉に首を傾げてるのは、言わずもがな俊ちゃんイメージでww
高杉晋作は、自分の役目・・・というか、自分が必要になるときを怖いくらいわかっていて、そしてその役目をきっちり果たして逝ってしまった・・。
それでも私は「早い」と思ってしまう・・。
私の勝手な気持ちなのは重々承知だけれど・・。
この人の夢だった洋行もして欲しかったし、この人が勢いをつけてくれた維新後の世の中も見て欲しかった。
この人が阻んでくれた彦島の租借が、どれほど・・。
・・・・・・・・・・・。
権力とか、そういうものにはこだわらないけど、でも完全に私欲を捨てることはできなくて、
破天荒で傍若無人でも家族や、主君や、国は大切で捨てられない、そんな自分に苦悩して、
そしてそんな自分を決して良しとは思っていない。
悩んで、憤って、それでもとても切実に、真摯に生きているから。
その姿がとても生々しく迫るから、私はこの人が好きなんだろうなァ・・・。
翼あらば千里の外もとびめぐり
よろずの国を見しとしぞおもふ
・・・・・あ。
聞多さんの傷描き忘れた(最低)
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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