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誠は天の道なり、誠を思うは人の道なり
至誠にして動かざるものは未だ之あらざるなり
誠ならずして未だ能く動かすものはあらざるなり。
誠は天道であって人の歩むべき道である。
「誠」は「言が成る」とあるように、
学んでこれを知り、
また努めてこれを行う知行一致である。
誠の心にあっては、何ものも心を動かされないものはない。
誠というものは、すべての元になるものであって、
常に誠を持って行動しなければならない。
・・・・・・「至誠にして動かざるものは者は未だ之あらざるなり」ってとこしか聴いたことなかったんだけど・・・、
こういうことだったのか・・。
言わずもがな、松陰先生の言葉ッス!!!
その翌朝も翌々朝も 私の病苦をなぐさめてくれる
君はぼくと旧知の仲でもなければ ぼくに恩があるわけでもない
どうしてそのようにぼくに厚い心をみせてくれるのか
ぼくはもともと人にうとまれる人間だ
旧友はぼくの歪んだ才能を責め
親戚はぼくをわがまま者と決め付けた
誰にも理解してもらえなかった
どうして君だけはぼくを受け入れてくれるのか
どうか老梅の枝から去らないで欲しい
けわしい谷川のほとりで憩うてくれ
寒中に香る梅の花 淡い月影はぼくの好むところだ
君のために生涯を終えたいと思う
タイトルの『些々』は晋作の晩年の号です。
あれだけにぎやかなのが好きで、たくさんの人に囲まれていたのに・・・この人の心の中はこんなにも孤独だったのかと思うと、やるせないです。
これはもとは漢詩なので・・・訳のほうはまァ、だいたいはあってると思います((ェ
晋作の最後の詩です。
弟がさっき受験に旅立ちましたよ!!(笑)
うちは私と弟W受験なんだぜ!!☆(それにしては緊張感が足りないが・・・・;;)
世の中の受験生!!頑張りましょ~!!(><)
ラクガキ晋作(笑)
晋作には個人的に着物は明るい色で自信満々な顔をさせたくなるww
この人、にぎやかなの好きだし(墓の前で三味線弾いて~・・とか)基本的に明るいとは思うんですけど、・・・・でも、落ち込むとドン底までいく感じですよね(笑)
そんなあなたが好きだ!!(爆)
昨日の「世界一受けたい授業~」で晋作がちょろっと出たんだけど、どんだけテンションがあがったことか!!!vv
歴史人物の身長を言ってましたね~。
坂本竜馬も実は169センチくらいだったらしいですね。
まァ、男子の平均身長が157センチくらいの時代じゃ十分大きいほうですけど。
徳川綱吉の身長が120何センチってのに爆笑した!!驚いたぜ!!
ちっさ!!(@□@)
節分ってことで長州のラクガキ三人党☆
(三人党→高杉晋作・伊藤博文・井上馨です。藩内外、敵だらけだったころはホントこの三人は孤立してたんでww)
豆投げてるのが晋作。
投げられて泣いてんのが伊藤。
その様を見て驚いてんのが井上。
この後、聞多(井上)のてによって俊ちゃん(伊藤)は助けられます。
・・・・・今日はまァ・・・勉強もしますけど、小休止。
明日は友達と図書館で頑張ってきます!!!(^v^)
幕末には狂介って名乗ってたりvv
今日は命日ですね・・・。
前髪うざったそうな人になっちゃった・・・・orz
長州の中間(足軽よりも低い身分)出身の彼。
もう彼、常に自分より上の権力にくっついてますからね!!ww
幕末期は特に何したーっ!ってわけでもないし・・・奇兵隊軍監だったけど・・明治になってからもこう・・軍閥つくったり、政界の黒幕といわれ・・・国民の人気はそんななかったらしい・・。
いや、でもほら!槍が得意だし!!;;
庭いじり・・・もとい、造った庭園の評価は高いし!!☆
高杉の奇兵隊決起にも最初はのってくんなかったけど、有利になったらちゃんと協力してくれましたし!!ww
この人のこういうなんとも言えない所がけっこう好きです(爆)
どうか、やすらかに眠っていてください。
主と朝寝がしてみたい
「そうか、○○(本名)は高杉晋作が好きか~」
・・・・とか言い出して、長州の偉人についての話になって・・・・
「親思ふ 心にまさる親ごころ けふの音づれ何と聞くらん・・・・」
ってじい様が言うから、
「それ松陰先生の辞世だよね?何で知ってるの??」
「むかし学校で習ったが~」
・・・・・・嘘ぉ!!?
いいなァ、今学校で習うにしても松陰先生のことで習うっていったら・・・
☆松下村塾
☆安政の大獄
関連くらいだし。
・・・そして突然「いとうぶんた」って言う人のことも習った気がするが誰な??とか言い出すじい様。
誰だソレハ?と首を傾げる私。
「何か藩の敵対する人間に闇討ちされて瀕死になって~・・・うんたらかんたら」ってじいさまが言うから、もしや・・と思い・・・
「それ『いとうぶんた』じゃなくて『いのうえぶんた』じゃない??」
「ああ!!それよ、それ」
謎が解けた!!(笑) 俊ちゃん(伊藤俊輔、後に博文)ともんた(井上聞多、後に馨)が混ざっていたらしい!!
もんたの「闇討ちされて瀕死の重傷に☆」事件もじい様は習ったらしいよ~。
いいなァ・・私らの教科書には鹿鳴館や欧化政策くらいしかのってないや・・・。
じい様たちは国語で私たちが歴史で習うようなことを習ってるので、国語が楽しそうでなりません!!
うおおお楽しそう!
その後ももんたのその後を気にするじい様と「外務大臣になってるよぶんたさん」とか「俊ちゃんと仲良しお神酒徳利だよ」とか、歴史話をしてきた。
ああ、思い出すだけでも清清しいww
てか、「ぶんた」か・・長州ファイブでもその発音らしいけど、私は「もんた」の呼び方のが好きなんで、違和感がぬぐえなかったぜ。。。;;
私には関係ないけどね・・・・・・・・・(泣)
ちょっと冬仕様な久坂さん・・vv
<久坂玄瑞>1840~1864
長州の藩医の出、士分をもらってからの名は「義助(よしすけ)」
号は江月斎。 字は実甫(じっぽ)、幼名は秀三郎。
禁門の変で死亡。
晋作もすきだけど、晋作とともに松門の「竜虎・双璧」と言われた久坂さんも気になる人物・・・松陰先生に「防長年少第一流」と絶賛された人ですしvv
しかも松陰先生、久坂にほれ込んで妹の文さん嫁がせてるしね。
久坂さんのお兄さんで、若くして亡くなった玄機兄ちゃんも秀才だったみたいだし・・・・すごい家系だ。
でもみんな死んじゃってるから、久坂さんってあんまり家族には恵まれてないんですよね・・・。
久坂さんと言えば色白で、六尺(180くらい?)もの身の丈、しかも美声!!
京では女性の方々が久坂さんが吟じていたら聞きに出てきたって言うくらいだからスゲーいい声してたんだろうなァ・・・聞きてぇ!!ww
士分もらう前の医者やってた頃は坊主頭のはず・・・・どんな美形の坊さんだよ!!
久坂さんって何気にすごい大食漢で、お雑煮30杯伝説とかありますよね(笑)
あと美人好きだったとか(結婚前の逸話がね・・・・苦笑;;)
桜好きvv
家の家紋とは別に桜の家紋の羽織もあったとか・・。
自分の命を度外視して動く至誠の人。
煽動力があるよねvv
この人の自警六則とかすごいと思うよ・・・。
・・・・・・・・先生が死んでからどんどん過激になっていくこの人は切ない。
そして8.18クーデターで薩摩&会津によって京を追われ、名誉回復のため今までの長州の築いた信頼にかけた禁門の変で敗れ、25歳で亡くなったこの人はどれほど無念だっただろう・・・orz
☆字は無逸(むいつ)
松下村塾四天王の一人。晋作・久坂・栄太の三人を三秀ともいう。
師・松陰にその才をもっとも愛された男。
あの池田屋事件で死亡・・。
伊藤博文とは幼馴染で晋作とは仲悪そうww
認めてるからこそ、ぶつかる、みたいな・・・・・。
でも栄太も家族が松陰反対派と賛成派に分かれて苦労してんだよね・・・。
松陰先生はアメリカ密航をくわだててるから、このころ国禁をおかした扱いで・・まァ世間の人は犯罪者ってみてるしね。
何気に栄太のたとえ話が面白いww
晋作→鼻輪を通さぬ暴れ牛
久坂→裃姿の坊主(今は坊主頭の医学生でもいずれ立派に政治が出来る)
入江→木刀(素質はあるが修行が足りない)
山縣→棒切れ(爆笑)
わざわざ絵まで描いてたとえるところが面白い!!しかも「なにかいてんの?」って質問してる山縣本人を棒切れ扱いって・・・っ!!ww
まァ、山縣は三秀の吉田に批評されたのを喜んで後年ジマンまでしてるけど・・・・(^ω^)
松陰ゆずりで眼力の確かな栄太・・・・・。
いや、でもそれにしても辛口だろ(笑)
面白いからいいけどww((ォィ
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。
★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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