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Posted : 2007/12/05 20:18
99a1660a.jpg今日は会津藩九代目藩主(高須藩より養子に入った)・松平容保の命日です。
命日なんでちょっと暗め・・・。

真面目、誠実、病弱な人!!朝廷も大切幕府も大切なんで公武合体派。
京都守護職、肥後守、新撰組のスポンサーです。
正妻は七歳年下・・。

京都守護職就任要請(攘夷派の天誅が流行ってる京都の治安を守って!というお願い)があり、たくさんの藩士を京都に置くためにはお金がかかる・・・藩財政が傾くのは必至!ということを承知しつつもたびたびの就任要請と初代藩主・保科正之の定めた家訓のひとつ「幕府には一心に忠勤に励みなさい。もしそれをしないのは私の子孫じゃないからね」というのと容保自身の真面目な性格(あと養子だから遠慮もありそう・・そんな決まりがあったなら)もあって結局、火中の栗を拾うことに・・・。
徳川のため朝廷のため一心に働いたのに、気づいたら朝敵に・・・・。
少し前の「その時~」が会津でしたけど、降伏を勧めにきた使者に、ある会津藩士が言ったという言葉が印象的でした。

「たとえ義をもってたおれようとも 不義をもっては生きず」

降伏するってことは朝敵って認めることになる。無実の藩主を朝敵には・・・という。
会津戦争でもっとはやく降伏してれば(白虎隊の悲劇とか色々となかっただろうに)・・・とかもあるかもですけど、そもそも会津が最初に恭順を申し入れたときの条件は、「容保の斬首」、「城の没収」、「領地の没収」だったそうだから「はい、そうですか」と簡単に家臣も主君の首差し出すわけないし、領地とられたら生活どうするのってことで戦しかなかったんだなァと・・。
藩士を大切にした容保にとってすごく辛かったと思います。

今は苦労の連続だったこの人が安らかであってくれればと思います。

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プロフィール
HN:
イフウ
性別:
女性
職業:
会社員
趣味:
読書、日本史、小説イラストかく
自己紹介:
マンガ、日本史、小説に異常に執着する人間。
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。

★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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