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日記、歴史などなど
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Posted : 2024/05/12 11:08
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Posted : 2008/07/10 23:54
c9e12ae9jpeg私は市ィこと山田顕義が可愛くて仕方ない(笑)

童顔でチビ(五尺)で可愛い村塾のマスコット(どんな認識!?)
村塾の年少組・・・。
でも市ィの村塾逸話って「先生に年賀の挨拶に言ったらそんなこといってる場合じゃないって怒られた!!どうしよう!!」みたいな不憫な逸話が・・・・(笑)

これでも日本法律学校(日本大学)と國學院(國學院大學)の創設者で、軍人ですよ。
私は可愛い可愛い言ってるけど、「神算鬼謀の将」とか「小ナポレオン」とか「用兵の奇才」とかせごどんには「よか稚児」いわれてその将器をほめられてるし、けっこうな歴戦の勇士だよねww
白熊(あの政府軍のもさもさした被り物の色)かぶれ!!(どんな要求!?)


長州の攘夷戦も禁門も参加してて戊辰戦争では函館までいってるし西南戦争でも別働第二旅団長として活躍してて、可愛い顔してなんなんだろうね、この子!!
司法の道にもいって、教育にもたずさわって・・・忙しいな!!ww


でものこってる市ィの軍服写真あるけど、軍服がすっごいぶかぶかで可愛いよねww
奥さんの龍子ちゃんはわざわざ聞多の養女にしてまで結婚してるから余程想い合っていたのだろうと思ってるんだが・・・聞ちゃんが「お養父さん」って笑える!!


ちなみに市ィの娘の梅子ちゃんの旦那は元会津藩主・松平容保の三男だったりする(わお!)
長州と会津ってすごい組み合わせだ・・・。
でも西南戦のときは市ィの別働第二旅団の団長は市ィだけど参謀で右翼指揮官だった山川大蔵(浩)は会津の家老職の家だからね★
この二人のコンビも好きだよvv
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Posted : 2008/07/04 23:09
b77b8439jpeg友だちが私の晋作のキーホルダー見て「こんなおっさん好きなの!?」って言うんですよ~・・・ってバイト先の歴史好きの人に話したらさ・・。

「いや晋作おっさんじゃないの?何歳で死んだの?」

「!!?おっさんじゃないですよ!死んだとき27歳ですよ!!」

って言ったらその人も27歳だから「あ。じゃあおっさんじゃないね」って言ってた(笑)

「でも若くして死んだんだね~、もっと生きてたら華やかな活躍ができたかもね~」
と言われて「いやいや!」みたいなね!!ww
晋作はやることなすこと結構 派 手 で す よ !!(爆)

★生涯で四回脱藩(笑)
★将軍にヤジをとばす
★英国公使館焼き討ち
★「十年の暇を下さい」とか言って髪を坊主にする
★藩に無断で二万両もする蒸気船を購入の契約

・・・・・・・・・長州じゃなければとっくに切腹じゃね??(笑)
天才通訳アーネスト・サトウに魔王よばわりされた男。
きっとパシリの俊ちゃん(伊藤博文)や尻拭いがまわってくる桂さん(木戸孝允)も苦労しただろう・・・ww
Posted : 2008/06/30 00:51

50de9ea7jpegすんません、何か語ります。聞き流してくださって結構です。


高杉晋作+久坂義助=「双璧」。
これに吉田稔麿を足して「三秀」、さらに入江を足して「四天王」・・・。

ひとりひとりはもう以前紹介しちゃってんだけど・・・;;
この松下村塾の四天王・・・みんなそれぞれ「性格イイ」ってより「イイ性格」してると思います(爆)・・・(性格イイとイイ性格って些細なようで大きな違い・笑)

Posted : 2008/06/27 04:05
0998631bjpeg井上聞多(後に馨)  <1835~1915>

長州の上士。身分イイし、年長者の部類にはいるけど、あんまそういうとこ気にしないww
村塾生じゃないけど、村塾生とは仲良し☆

かんしゃく持ち(笑)
料理好きww

井上家から志道家の養子になり、藩主の小姓役になったとき「聞多」の名をたまわる。
密航留学するときに養子先に迷惑かかるといかんからってことで「井上」姓に戻す。

俗論党に闇討ちされて瀕死になって畳針で50ヶ所以上縫われたくせに奇跡的に助かるというゴキブリ並みの生命力を発揮する(爆)

明治になってからは大蔵大輔、参議兼工部卿、外務卿、外務大臣、農商務大臣、内務大臣やったり鹿鳴館外交をやったりしてる。
こんな欧化政策にバリバリ走ってるけど、文久二年には高杉や俊ちゃんと一緒に英国公使館焼き討ちしちゃった☆☆
財界との結びつきが強く、せごどんには「三井の番頭」呼ばわりされてるww

なんで聞多こんなに素敵なんだろう・・・・!!


俊ちゃん(伊藤博文)とは仲良しvvお神酒徳利とあだ名される・・。
変名は「春山花輔(聞多)」と「花山春輔(俊ちゃん)」・・・こいつら何なんだ・・笑”
高杉の顕彰碑の除幕式にあっついなか二時間も演説をして小学生を倒れさせる(爆)
俊ちゃんがもうハルピン駅で暗殺されてるしね・・・。
小学生は倒れても聞多さんはぴんぴんしてたんだぜ☆



なんかいろんな本で汚職政治家イメージが付きまとってr・・(確かに江藤さんに責められてるけどさ・笑)
でも渋沢栄一はかばってるよね☆いろいろ事情があったんだよ~みたいな(笑)
ナイス栄一☆この人、聞ちゃんのこと好きだよねww(慶喜のことも好きだけど)
聞多があだ名「カミナリ」だけど、渋沢はそのカミナリが落ちない「避雷柱」と呼ばれた男だからねvv
「カミナリオヤジ」の聞多とか・・・ッ!!好きすぎる!!vv
大隈重信の聞多の人物評も好き☆
侠気があるんだよ聞多は!!

聞多の奥さんの武子さん
もとは薩摩の中井弘(原敬の妻・貞子の父)の奥さんだったんだけど・・。
この中井さんも面白いww
士風を尊ぶ薩摩には珍しく、その藩風がイヤで脱藩した人(爆)
造士館時代に刀を「こげなもの!」って投げ捨てたというエピソードには爆笑した((何

聞多男らしいよカッコイイよww
でも聞多のつくったスープは食べたくないな!!(爆)
Posted : 2008/06/26 06:36
a121e526jpeg木戸さん誕生日おめでとうございます!!!



ときおり冷酷にさえ見えるほどの判断を下す人だけど、そうやって冷静に物事を見てくれる人だから長州の「志」がちゃんと維新までつながった、と思ってます。


幕末にそうやって志士として第一線を奔った桂小五郎も、明治の政治家・木戸孝允も大好きですvv


Posted : 2008/06/22 09:25
18559c7djpeg久坂さんの髪がのびた頃。
まだ結べるほどではないけど(笑)
「髪のびたな~」とか言われて照れとけばイイよッッ★
そんな他愛もない話もしたのかな、この人たち・・・。

<久坂義助(玄瑞)>1840~1864
長州の藩医の家に次男として生まれる
14歳と15歳で母と父と兄を亡くし、若くして家を継ぐ。
吉田松陰の妹婿にして高弟。双璧の一人。
身長六尺、色白の美丈夫で(眇目だけど)、その美声に京女が聞きほれたという・・。
力持ち。でも変装は下手っぴィ(バレたからって番人殴り飛ばして逃走って・・・爆)
あだ名は「お地蔵さん」ww


この頃の医者って坊主頭・・・。
でも文久三年の士分に取り上げられた頃には髪のびてたみたい。


禁門の変で死んだときまだ24歳・・・若いんだよなァ・・。
平凡に暮らそうと思えば暮らせたかもしれないのに、でもこの人はそんな生き方しないんだろうな。
この人たちの日常って何だろう・・。
くだらない馬鹿話したり仲間と遊んだり、恋人(お辰さん)と逢ったり・・・他愛もない日常もあったはずなのに。


祇園島原撞木町  傾城狂いのそのうちに

病気なんどで死なしゃんしたら 忠か不孝か 

わかりゃせんぞいのう


・・・なんて面白い即興も詠うような人なのに(笑)

それでも「志」の前には全て吹っ飛ぶんだよね(苦笑)

Posted : 2008/06/21 11:01
246da07bjpeg一ヶ月きった~・・・・来月の十九日・・・(旧暦の19だけどね)

元治元年・七月十九日・・・・禁門の変の日が来ーるー・・・・・。

ちなみに右から順に山田市之允(顕義)・久坂玄瑞(義助)・寺島忠三郎で★
あ。
みんな松下村塾生だァ・・・。


久坂と寺島は鷹司邸で自刃とも刺し違えて死んだともいわれてますが・・・。
市ィやヤジは長州に落ち延びて再起をはかる。

同志や自分たちを今まで引っ張っていてくれた憧れの存在を置いて、国許に帰る市ィはどんな気持ちだったろう・・。
でも禁門の変ってその後の長州にとってホント大きいと思うんだ。
死んだ人がいればいるほど残された市ィや桂さん、高杉や聞多さんや俊ちゃんも引けなくなる。
志を遂げる以外の勝ちはなくなる。
どん底の長州の強さはそこだと思うの・・・。
もうこれは倒幕に向かって走るしかないでしょう!!(泣)

この時、高杉は脱藩罪みたいになって投獄されてたから禁門の変には不参加(この頃の高杉はやたら久坂さんの夢を見ていたらしい・・・・)。

投獄されてなかったら否応もなく禁門参加してたかもな・・・久坂さんでさえこのどうしようもない流れには抗えなかったんだもんな・・。
「流れ」って恐いよなァ・・・・。
池田屋で稔麿が、禁門では久坂と入江が逝って・・・・・これで高杉までいなかったら・・・ねェ??
(まァ高杉がいなかったらそれはそれで誰かがやったのかなとも思うけど)
でもあの時期の長州に高杉がいてくれてよかったなと思う。


ここんとこが薩摩とは違うんだよね・・・。
薩摩基本負けないしね;;(だからこそ西南がめちゃくちゃ辛いんですが・・・)

幕末の薩摩は腹黒い!!(笑)
てか基本的にあんまり腹の中で何考えてんのか読めない(爆)

特にあの倒幕の密勅、大政奉還あたりの慶応も終わりの頃の大久保さんと慶喜とかの策と策のせめぎあい、あのすれすれ・ぎりぎりの緊張感はすさまじいものがありますww
いや、それが楽しいんだけど★(ニコッ)


ああ、何かテンションおかしい・・・
Posted : 2008/06/20 12:39
e1756635jpeg高杉晋作については今までも色々書いてるのですが・・・・。
何度だって書いてしまう・・・ww


高杉は死ぬときに家族にこれといって遺言はのこしてないとのこと。
後年、晋作の正妻・マサ夫人が、


「家族のものには別に遺言というものはありませんでした。『しっかりやってくれろ』が遺言といえば遺言でございましょう」


と言ってます。
結核で床に臥す晋作の見舞いに井上聞多(井上馨)と福田侠平がきたとき、晋作が、

「ここまでやったから、これからが大事じゃ。しっかりやってくれろ、しっかりやってくれろ」

と言ったそうです。
同志たちが新時代に向けて奔走する中、病に冒され共に奔れなくなった晋作はどれほど己を歯がゆく思ったことでしょう・・・。


弔わる人に入るべき身なりしに  弔う人となるぞはずかし


晋作が二十七歳のときに詠んだ歌。
たった二十七歳で同志たちより生き延びていることを恥じている。
先に逝った松門の同志たちにも恥じない働きを、この人は十分したと思うんだけどなァ・・・(泣)


維新の魅力ってみんな「若い」というのもあると思う。
たいがいの活躍した人が三十前後の気が・・・。
(「お~い!竜馬」のメイキングで小山さんと武田さんもそんなことを語ってるけど・笑)

若くなきゃ理想や情熱だけで突っ走るようなあんな無茶はしないし、そして歩み寄れもしないと思うww

志士たちがもっと年上だったら理想や情熱だけじゃどうにもならないこととかあるし、ものわかりがよくなって現実に妥協しちゃうかもなァ・・・。
倒そうとしてるのは幕府だしねww
めっちゃ大きいしね(笑)
大変すぎるっしょ・・・・・・・ッ!!(汗)
Posted : 2008/06/17 21:57
戦国時代、中国地方十ヶ国に覇を唱えた毛利元就。

そしてその孫の毛利輝元の頃には秀吉に五大老の一人に任ぜられ、中国地方の八ヶ国(約120万石)を治めた。
でも1600年、関ヶ原の戦いで豊臣側に付いた毛利家は東軍の家康に敗れ周防・長門の防長二ヶ国(36万9千石)に押し込められた・・・・。

だから長州の有名な逸話で年賀の挨拶のときに家臣が、

「殿、今年いたしましょうか?」

と尋ね、殿様が、

「いや、まだ早い」

・・・と答えるという、幕府を倒す意思表示の光景があったという(あと長州では武士は西枕で寝て、幕府に足を向けるようにしていたとかも・・)、これを二百五十年余も続けていたという時点で長州がもともと幕府に恨みもあるし、外様の中でも倒幕の急先鋒だったのもありかな・・・とも思うんですが。

長州が「尊王」をかかげていたのもさ・・・。

もともと毛利家は平城天皇の皇子・阿保親王を先祖に持ち、その親王の落胤が「大江」を名乗り、その子孫があの源頼朝の鎌倉幕府開府に協力した大江広元。
その広元の四男が「毛利」を名乗りだしたのが毛利家の始まりという・・・。

もともと皇統との縁が深かったってのもあると思う・・・。

何か何言いたいかわかんなくなってきた(笑)
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イフウ
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女性
職業:
会社員
趣味:
読書、日本史、小説イラストかく
自己紹介:
マンガ、日本史、小説に異常に執着する人間。
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。

★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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