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Posted : 2024/05/21 05:47
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Posted : 2008/06/17 21:57
戦国時代、中国地方十ヶ国に覇を唱えた毛利元就。

そしてその孫の毛利輝元の頃には秀吉に五大老の一人に任ぜられ、中国地方の八ヶ国(約120万石)を治めた。
でも1600年、関ヶ原の戦いで豊臣側に付いた毛利家は東軍の家康に敗れ周防・長門の防長二ヶ国(36万9千石)に押し込められた・・・・。

だから長州の有名な逸話で年賀の挨拶のときに家臣が、

「殿、今年いたしましょうか?」

と尋ね、殿様が、

「いや、まだ早い」

・・・と答えるという、幕府を倒す意思表示の光景があったという(あと長州では武士は西枕で寝て、幕府に足を向けるようにしていたとかも・・)、これを二百五十年余も続けていたという時点で長州がもともと幕府に恨みもあるし、外様の中でも倒幕の急先鋒だったのもありかな・・・とも思うんですが。

長州が「尊王」をかかげていたのもさ・・・。

もともと毛利家は平城天皇の皇子・阿保親王を先祖に持ち、その親王の落胤が「大江」を名乗り、その子孫があの源頼朝の鎌倉幕府開府に協力した大江広元。
その広元の四男が「毛利」を名乗りだしたのが毛利家の始まりという・・・。

もともと皇統との縁が深かったってのもあると思う・・・。

何か何言いたいかわかんなくなってきた(笑)
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無題
なので吉田松陰は「長州藩は朝臣だ!」を唱えて、倒幕に繋がるんですよねー
朝臣だった長州が朝敵になった時のショックときたら。。。
歴史は必然的だったのがいいですね。
こづゆ 2008/06/19(Thu)00:08 編集
こづゆさんへ
お返事遅れて申し訳ありません;;

ホントに必然的ですよね・・・。
だからこそ「尊王」を掲げた長州が「朝敵」となったときの気持ちを思うとやるせないです・・・。

イフウ 2008/06/20(Fri)11:40 編集
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読書、日本史、小説イラストかく
自己紹介:
マンガ、日本史、小説に異常に執着する人間。
出身・居住地は維新三傑のうち二人と同じ。

★日本史★
平安末期・戦国・幕末明治~。日本史全般好きですが、執着激しいのは武士が出てきてからの時代。義経で興味を持ち、中学で信長で日本史にどっぷりはまりました。信長を見つめて、晋作を追いかける日々です。晋作を追いかけ始めて9年目突入。松下村塾好き。山口好き。しかし鹿児島郷中チェストたちも愛してます。佐幕倒幕関係なく好きです。新撰組も会津も幕府ももちろん^^
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